「ほどほど族の氾濫」 ― 2007年12月10日 23:42
本日は新聞の休刊日,というわけでもないが,先日(先週の金曜日)日経に載って少し考えさせられた記事をモチーフにしてみる。タイトルは「働くニホン」。見出しは「増える『ほどほど族』」。要は,「昇進を拒否」する者が珍しくなくなり,「仕事に打ちこんでも報われるとは限らない」から「ほどほどでいいという人が増えている」というもの。
「仕事ができる人ほど疲れていて楽な職場を求めがち」という傾向。仮に,バリバリ仕事をこなしたとしても,結局その仕事に意味を見いだしたり,達成感を覚えたりということが希薄になった現実。これが大問題だと。もちろん,一種の悪循環とでもいうべき構造という側面はある。バリバリ仕事をこなす人が,気を入れて励めば励むほど,周辺の“ほどほど族”はヨリいっそうほどほどとなり,つまりは退いてしまい,その分バリバリ族の負担が膨らみつつ,結局はバリバリ族もまたほどほど族に転じてしまう・・。
だから,問題は,「そも“ほどほど族”は何ゆえに蔓延せざるや?」と立てられることになる。「ばぁーろ。こんなのやってられるかっちゅーの」というセリフを吐く者がなぜかくも多く生み出されたのか?おそらく,いまのニホン――否,グローバルな範囲――のすみずみにまで,目の前のことしか眼中に“できない”やり方が瀰漫してしまったからではないか。いくらいいアイデアでも,それが結果がでるまで時間がかかるようであれば,即,却下されるのが標準となった。しかも却下をいいわたす者の恃むのが全く非創造的でしかないマニュアルとでもいうほかないシロモノだとすれば・・。モチベーションを持続させるのは,高めるのは何か,が問われている。
船場吉兆の社長と取締役が辞任を表明したという。もの言えぬ従業員。ほんとのことを口にだせない現場。「バリバリ族がほどほど族へと転じてしまう」ドライビング・フォースが,産地偽装や期限偽装を積極的に実行した経営陣のトップだといえば,問題を矮小化することになるだろうか?
「仕事ができる人ほど疲れていて楽な職場を求めがち」という傾向。仮に,バリバリ仕事をこなしたとしても,結局その仕事に意味を見いだしたり,達成感を覚えたりということが希薄になった現実。これが大問題だと。もちろん,一種の悪循環とでもいうべき構造という側面はある。バリバリ仕事をこなす人が,気を入れて励めば励むほど,周辺の“ほどほど族”はヨリいっそうほどほどとなり,つまりは退いてしまい,その分バリバリ族の負担が膨らみつつ,結局はバリバリ族もまたほどほど族に転じてしまう・・。
だから,問題は,「そも“ほどほど族”は何ゆえに蔓延せざるや?」と立てられることになる。「ばぁーろ。こんなのやってられるかっちゅーの」というセリフを吐く者がなぜかくも多く生み出されたのか?おそらく,いまのニホン――否,グローバルな範囲――のすみずみにまで,目の前のことしか眼中に“できない”やり方が瀰漫してしまったからではないか。いくらいいアイデアでも,それが結果がでるまで時間がかかるようであれば,即,却下されるのが標準となった。しかも却下をいいわたす者の恃むのが全く非創造的でしかないマニュアルとでもいうほかないシロモノだとすれば・・。モチベーションを持続させるのは,高めるのは何か,が問われている。
船場吉兆の社長と取締役が辞任を表明したという。もの言えぬ従業員。ほんとのことを口にだせない現場。「バリバリ族がほどほど族へと転じてしまう」ドライビング・フォースが,産地偽装や期限偽装を積極的に実行した経営陣のトップだといえば,問題を矮小化することになるだろうか?
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