「正直者」でいいじゃないか・・2008年07月11日 23:45

大分県の教員採(任)用をめぐる贈収賄「事件」。構図と手法はいたってシンプルである。この3日間、各紙のコラムや社説はこれをネタにあれこれ論じている。「事件」の構造と手法がシンプルであるがゆえに、そのマクラの設定に多少の工夫が必要だったようである。

毎日(7/9)の〈余禄〉は「貢挙(くこ)」。奈良時代、平安時代に科挙をモデルに行われた任官試験だったが、有名無実化し、結局この国で公の試験制度が復活するのが明治期以降で、それが今回の「事件」で・・、という主張。

日経(7/10)の〈春秋〉は「ギルド」。階層的にして閉鎖的なミニ宇宙〈ギルド〉が現代ニッポンの教育界にも息づいている、という見方。

産経(7/11)の〈産経抄〉は「秘密結社」。正史には顕われないが、歴史の変わり目に暗躍する「秘密結社」の役割が、大分県教育界の「闇」の機能とダブって見えるという理解。

朝日(7/11)の〈天声人語〉は「科挙」から疎外された唐の詩人・李賀。ねたまれるほどに才を発揮したがゆえに官吏登用の道を閉ざされた李賀。本来であれば合格となっていたはずの今回の不合格者と重なるのではないか、と。

読売(7/11)の〈編集手帳〉。実は、戦時中の戯れ歌から説き起こしたこのコラムが最も問題の本質を突いているように思う。その戯れ歌というのは〈世のなかは、星に錨に闇に顔 ばか者のみが行列に立つ〉。「星は陸軍、錨は海軍、闇は闇取引の闇、顔は『顔が利く』の顔である」と解説し、その上で「軍部の威光には縁がなく、闇で買う金もなく、頼るコネもない。ごらん、ないない尽くしのばか者どもが配給の行列に並んでいるよ、と。」と書く。威圧とカネとコネ。まさに人間社会の成り立ちを簡潔に言い当てている。これを可能な限り洗練しようと努力してきたのがモダンということだったのではないか。大分はその点、プレモダンの段階にとどまっていたのか、はたまた疾うにポストモダンのずっと先に到達したのか・・。

〈編集手帳〉子はいう。「ばか者とはつまり、『正直者』のことらしい」と。そういえば、本日ソフトバンクの前で行列に立ったのも「ばか者」なのであろうか。並ばなくともゲットできるぜ、とうそぶく者がいる・・。