読書術―アホでもいい,ないよりいい? ― 2008年07月28日 22:11
英文学の富山太佳夫が,「読書術?そんなものが本当に,どこかにあるのだろうか。」と不思議がっている(日経,07/27朝刊)。まったくその通りだと思う。富山は,読書術に関連すると思われる「何冊かをチェックしてみたのだが,その見事なまでのアホらしさに感動しただけ」という。このアホらしさとは,これが読書術だ,とする内容が,それを示す者だけに意味のあるまったく私的なHow-toにすぎないことに由来する。〈秘策〉は,万人に開かれないからこそ〈秘〉として意味をもつ。〈秘〉は,傍から見れば滑稽でもあり,アホらしい,ものでもある。いわゆる〈合格体験記〉が,多くの人を惹き付けながら,他者にはつゆほどのご利益ももたらさないのはその例である。
ところで富山の面白いところは,読書案内の類を読むのが大嫌い,案内なんかいらないよ,というのが,学生時代の講義を聞くときの基本的スタンスだったと吐露している点である。「私にとって大切だったのは,その講義の内容ではなく,その先生が挙げる何冊かの本のタイトルであった。そのメモがあれば充分。」そのメモを入り口に,図書館や書店の棚を訪ねれば「私の前にはいつも広大な世界が広がっていた。」教師の講義より,その教師が教えてくれた入り口から手探りで進む知の世界が好き,という,いまの大学生のスタンスとは〈真逆 (^^ゞ 〉(=2004年新語・流行語大賞ノミネート語)の時代があったことを思い出させてくれる。
いまの大学生は,教師の話だけで圧倒的な満腹感をしめす。だから図書館にも,書店にも,ほとんどの大学生は寄り付くことはない。のみならず,小説はおろかマンガをつまむ別腹という感覚さえ喪失してしまっている。アホでもいい,そっこー読書術というのはないだろうかと,つい・・。
ところで富山の面白いところは,読書案内の類を読むのが大嫌い,案内なんかいらないよ,というのが,学生時代の講義を聞くときの基本的スタンスだったと吐露している点である。「私にとって大切だったのは,その講義の内容ではなく,その先生が挙げる何冊かの本のタイトルであった。そのメモがあれば充分。」そのメモを入り口に,図書館や書店の棚を訪ねれば「私の前にはいつも広大な世界が広がっていた。」教師の講義より,その教師が教えてくれた入り口から手探りで進む知の世界が好き,という,いまの大学生のスタンスとは〈真逆 (^^ゞ 〉(=2004年新語・流行語大賞ノミネート語)の時代があったことを思い出させてくれる。
いまの大学生は,教師の話だけで圧倒的な満腹感をしめす。だから図書館にも,書店にも,ほとんどの大学生は寄り付くことはない。のみならず,小説はおろかマンガをつまむ別腹という感覚さえ喪失してしまっている。アホでもいい,そっこー読書術というのはないだろうかと,つい・・。
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