元祖フォークの心がわり2008年08月09日 11:14

元祖フォークが、メディア露出へのためらいを捨てた。岡林信康がテレビに出演し、初期アルバム復刻を受け入れたとある(8月8日朝日、朝刊)。岡林は、マスメディアに“乗る”ことを拒み「過去の作品を出すことは、かたくなに断り続けてきた。」

それが、なぜ、いま変わったのか?岡林は、従来、自分の「歌は、色々と政治的な意味をもたされ、利用された。でも今回話を持ちかけてきたレコード会社の若い人たちは純粋に音楽として楽しんでくれていた。だから任せた」という。36年ぶりに開いたコンサートで、客席は「みんな楽しそうな表情なんだ。昔は違った。客席は険しい顔ばかり。」だから、いまとなって“受け入れることにした”というのである。

いい話だ。が、落し穴はないだろうか?あの時、自由を歌う岡林の顔は険しくなかっただろうか?と一言発すれば容易にわかる。彼の顔は十分に険しかった。演者の顔も聴衆のそれも「険しかった」のがあの時代だったのである。それは“右手に(朝日)ジャーナル、左手に(少年)マガジン”がスタイルだったからである。自由を謳うことが、差別や周辺の存在を問うことなしには不可能なことを誰もが直観していた。しかし、いま岡林のコンサートを聴く多くの人にこうした屈託はない。「険しい」顔は見せない。

岡林について語る朝刊の別のページでは「今年は高校卒業生の60.1%が大学・短大への入学を志願」とある。岡林が「険しい顔」の聴衆に対面したという当時は、20%に足らず。いま大学・短大では、“学生”の圧倒的多数は「険しい」顔で授業を聴く。ライブのようなノリで話した時に初めて「険しい」顔がやわらぐ。確かに時代は変わった。・・・北京で五輪競技が開催されるほどに変わった。