五輪の狂騒の陰で2008年08月19日 21:57

最初から,そのことは一部で喋喋されていた。グルジア軍が,まさに五輪のオープニングにあわせて南オセチアの州都に攻め入ったのではないかという例の件である。ここにきて,ロシア外務省が,軍の撤退はグルジア軍の撤退次第,との声明を発表し,他方では NATOが,グルジアへの支持を表明するなど誰が見ても構図がはっきりしてきた。

つまり,米露の新しい対立構図である。これを“新冷戦”のはじまりと見るむきもあるが,市場原理主義VS国家主義と図式を単純化してみれば確かに“新冷戦”というのはよくわかる。と,いうよりも“新冷戦”は,1990年代初めまでの45年間にわたる“冷戦”とは結局何であったのか,を逆に浮き彫りにするテクストということになる。もちろんソ連邦の「意味」も再度はっきりすることになろう。

いささか飛躍していえば,“冷戦”真っ只中の,〈1968年〉の世界史的意義が問われる,と言い換えることも可能だ。この年,西側では、現状変革に対する根源的な問いかけの波動が巻き起こり(米コロンビア大学における反乱,フランス五月革命,日本における学生の蜂起・・),東側でも,「プラハの春」のダイナミズムが渦動した。まさに「革命は1968年に始まった」(Guattari & Negri)のであった,から・・。