“新たな不条理”の時代?・・2008年11月30日 17:31

私が学生だった頃,カミュの『異邦人』は必読の1冊だった。冒頭の1行,「けさ,ママンが死んだ」は誰もが知っていたし,主人公のムルソーが「太陽のせい」で殺人を犯す,という件は,“不条理”というタームとセットとなって,若者の青い精神に根を下ろしていた。その結果,若者たちは,社会の〈知〉,共通感覚といったものでは解釈不能なことが,群集が成立させる都会とか,欲望の即時的消費などのパラメーターを入れることで,なんとなくわかったつもりになることができたのである。しかし,すべては釈然としないまま,“不条理”の時代は次へと向かった。

元厚生省事務次官襲撃の事件に関して,「動機 供述通りか」と新聞に出ている。「34年前の犬のあだ討ち」という“幼稚”な供述以外のことがまったく浮上してこないとある。わたしたちは,この「『犬の恨み』一貫主張」というのが奈辺から発せられているのかを,読み解くことができるだろうか?“新たな不条理”の時代に入ったのだろうか?今朝の新聞には,「文科省幹部襲撃」をブログに予告した「東大卒・無職25歳男」が載った。「理想を持って勉強してきたが,教科書の内容と違う現実があるのを知り,文科省に詐欺をされたと感じた」からと述べている,という小さな記事である。社会の〈知〉,共通感覚などでは推し測れないまことに“幼稚な供述”がここにもあるというわけである。

ムルソーは,喧嘩に巻き込まれ,いわばその場の成り行きで殺人を犯したのであったが,元厚生次官襲撃は,計画的で,周到な準備をした上で犯行に及んだ事件であった。この違いに止目すべきであろう。いわばムルソーが迂回的・間接的に表出した社会に対する距離感が,直接的なそれに置き換えられていると言えばよいだろうか。

また,元厚生次官や文科省幹部といった「高級官僚」を悪と見て,抹殺の対象とみなすという点に現代の宿痾があるようにも思う。官僚=悪の図式を正しいものと思い込む視点が,社会編成の唯一正当な原理が市場経済的なそれだという無意識に支えられているかもしれないからである。

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