GM「国有化」の意味2009年06月04日 13:44

6月1日,GMが連邦破産法の適用を申請した。
20世紀のアメリカ経済を,
いや20世紀の世界経済を,
牽引した巨大企業の破綻。
これをどう読み解くか。

端的に言えば,20世紀型資本主義の終わり,
ということになるのではないか。
20世紀型のポイント。
耐久消費財を基盤とする製造業が軸となる経済。
高額な耐久消費財購入を実現する,高賃金。
そのフレームを提供する社会保障に重点を置いた福祉国家体制。
20世紀型の主役は,
耐久消費財をターゲットとする製造企業を支えた
巨大産業株式会社という名の金融資本であった。
それは,巨額の資金需要を賄うシステムにほかならなかった。

もちろん,すでに1970年代以降,
こうした構図は大きく変容し,
変貌を遂げてきた。
その焦点が,経済の金融化。
1971年のニクソンショック(金ドル交換停止)と
73年の変動相場制への移行に端を発する
金融経済の急膨張。
実物経済の規模をはるかに超えて
金融経済が拡大した。
結局は,GMでさえ,
クルマ製造という本業に見切りをつけて
本格的に金融業にのめりこんだ。
もともと自動車ローンを手がけていた
GMACの大々的展開が,それである。

そして21世紀。
グローバリゼーションという名の競争の波が,
巨大企業にも激しく襲いかかった。
至上命題となったのはコスト削減。
労働コストは,その最大のターゲット。
賃金の圧縮は,
耐久消費財購入へのインセンティブを殺いだ。
人々は,ライフスタイルの中軸に
クルマをおくのを控え始めた。
若者もふくめた,
クルマ離れのトレンドが,
こうして出来上がった。

昨日の日経朝刊(「GM国有と世界(中)」)によれば,
米,日などの先進国で,
クルマ保有台数の減少,
クルマの平均使用年数の長期化,
カーシェアリングの普及が進んでいる,という。

だから,GMの連邦破産法適用申請のもつ意味は侮れないのである。
かつて基軸産業(だった自動車産業のトップ企業)が,
一時的ではあれ,
国有化される事態だからである。
非金融業の大企業救済という
「禁断の実」,「最後の手段」に
手を染めた意味は小さくはない。
「金融資本」を超えたいわば「国家資本」の出現とでも
いうべき事態だからである。
アメリカでは,新車販売台数の減少が続いているのに対し,
ドイツでは4ヶ月連続で増加したという。
しかし,ドイツの場合,
増大させているのは
政府による「新車買い替え補助金」である。
日本でも,
すでに「エコカー減税」,
「エコカー買い替え補助金」が始まった。
国家の支えなくしてクルマ産業は立ちゆかなくなったのである。

「20世紀型資本主義」,
「金融資本の支配する資本主義」は,
急速に舞台から降りつつあるかに見える。
クルマ産業の行く末は,
現在,世界市場の三分の一を占める
新興国の事情に依存するだけだろう。

エコカーの次元にとどまらない
交通手段の超高度な飛躍というようなものは不明である。
グリーン・ニューディールも,
その内容はあいまいなままである。
つまり次世代型資本主義の輪郭は一向に見えない。
むろん,資本主義に代わるオルタナティブ社会の展望も
またしかり。
オルタナティブ社会への展望欠如が,
資本主義の延命,救いにほかならない,これが現実なのである。

「海賊」と「純金ゲゲゲの鬼太郎金貨」2009年06月10日 15:51

先週の土曜日,本山美彦氏(世界経済論)
の話しを聴く機会があった。
基本は「世界恐慌」のことだったが,
ソマリアに言及した箇所も強く印象に残った。
グローバルな広がりで凶暴化している「金融権力」が,
多くの国々を破綻させている現状を
取り上げたところに出てきた。
「いまどき,なぜ海賊なの?」の謎解きでもあった。

概略はこうである。
ソマリアは,軍事戦略的な要衝に位置する。
インド洋―紅海―スエズ運河―地中海航路の
出入り口にあたっている
このロケーションにより,
19世紀末には英,伊による植民地化がなされ,
第二次大戦後は,
北部がイギリスの保護領,
南部はイタリアの信託統治領となった。
1960年にそれぞれが独立しつつ統合するも,
内戦状態が続き,
1991年北部が分離・再独立を宣言して,
中央政府を欠く地域となった。

内戦による経済の疲弊はすさまじく,
世界最貧国となった。
大量の難民が発生する状況により,
各国からの援助頼みが続いている。
1993年,アメリカが内戦に介入し,
これ以降,米軍はゲリラとの闘争に貼り付けられた。

中央政府がない,ということは,
無政府状態であることを意味し,
それが各国による魚(マグロ)の乱獲や
ヨーロッパ企業による核廃棄物を含む
大量の廃棄物投下を促してきた。
魚の乱獲への自衛活動が
海賊のプロトタイプとなった。
2001年の「9.11」後,
当時ソマリアで唯一,インターネットを駆使し
国際電子取引を担っていた企業(バラカート社)を,
アメリカが,アルカイダとつるんでいるということで
閉鎖に追い込んだことが
“本当の”海賊への「成長」のきっかけとなった。
内戦状態のもと,多くの人たちは
海外へ出稼ぎに行ったが,
バラカートの閉鎖は,
送金ルートの消滅を意味した。
こうして内戦と飢餓に苦しむソマリア人民は,
海賊になるべくしてなった。

これが概略である。
(わが国では,こうした事情を知ってか知らずか,またもや「60日規定」が発動され,まもなく「海賊対策法案」が成立する)

ところで,こんな記事があった。
「ゲゲゲの鬼太郎 誕生40周年 公式記念貨幣」。
ツバル政府が発行する正真正銘の“法定貨幣”というのである。
ツバルは,
ソマリアと同じように,長い間イギリスの植民地だった。
ようやく1978年に
イギリス連邦の一員として独立したミニ国家で,
国際連合の最貧国リストに載っているという。
収入の多くは,海外の援助や出稼ぎ者の送金であり,
主要な産業は,漁業とある。

“法定貨幣”の売上げも,
一部は国家財政に組み入れられる。
知らなかったが,これまでも,
ツバルからは「銀河鉄道999」や「手塚治虫」など
多くの“公式記念貨幣”が発行されてきたらしい。
ITがらみでは,
正式国名Tuvaluに基づく
トップレベルドメイン名の ".tv"を
リースするというのもあるらしい。
アイデアマンがいるのだろう。

ソマリアの不幸に対して,
いかなる意味でも要衝ではありえないツバルの
“余裕”がなせるワザとでもいうべきなのかもしれない。

IT社会の現実2009年06月17日 21:25

テレビを見ていたら,あるCMが目に留まった。
ウィルス対策ソフトのCMである。
「イライラ解消!」
「かっる~ぃ,軽い,このソフト」
というようなセリフが流れている。
わぉ,わーお。
ついに出たか,待ってたソフト!
と胸躍らせて,ソフト名の出るのを待った。
びっくりした。
驚いた。
憤慨した。
自分が使っているソフトだった。
いつもイライラさせられているソフトだった。
まさにBJCM!(Black Joke CM)。

所属している学部に,
この4月,
新しい学科が出来た。
ご祝儀予算がついた。
使途に困ったと見えて,こともあろうに
学生出欠チェックシステムなる装置を導入した。
受講する学生は,
学生証(カード)を装置に通してから
教室に入る形となった。
入力された受講生データは,
パソコンに取り込んで管理するというシステム。
ところが,
パソコンに組み込まれたデータ管理ソフトに
プログラムミスがあり,
目的はまったく達成されていない。
出席しているのに
欠席が続いているとされた学生,
まったく逆に,
出てもいないのに出席として記録された学生等々。
そもそも出欠チェックシステムなどというのを導入する
ナンセンスもさることながら,
ここにもIT社会の現実がある,
というさぶい話なのである。

けさ,ラジオで
昨日と今日
「ICT推進フェア2009 in 東北」という企画が
メディアテーク で開催と聞いた。
昼食がてら行ってみた。
津軽三味線の演奏を
自動的に楽譜に変換するシステムが
ちょっと面白かったが,
総務省が力を入れている
「ユビキタス・コンピューティング」の例というのも,
IT玩具の域を出るようなものではなかった。

たぶん,ホッとすべきなのだろうね・・。

「株式会社」立大学の退場2009年06月21日 09:58

「LEC大,学部学生の募集停止」が報じられた。
同大は「株式会社」立の大学。
小泉改革のウリであった「規制緩和」の徹底。
それを背景に5年前にできた。
通常,大学設置にともなう申請手続は,
えらく煩瑣で,
文科省との気の遠くなるようなやり取りを
くぐらなければならない。
しかも申請後,
設置許可がでるまでの期間の標準は8ヶ月。
それがLEC大の場合,
審査はわずかに3ヶ月だった。
そして,5年ももたず学生募集停止の事態に。
経営母体は、
資格試験(司法試験)予備校の
東京リーガルマインド。
リーガルマインドはお手のものだが,
大学経営のビジネスマインドには疎かった
というシャレにもならない事態である。

今回の,このLEC大の事例から何が読み取れるか。

誰もが,(大学)教育を市場原理に委ねることの
ナンセンスを指摘しつつ,
こんなことを思うかもしれない。

コスト原理にたつ経済的合理性,効率性と
教育とはおよそ次元が違う。
だから「株式会社」立というアイデアに
ゴーサインを出したことが
そもそも誤っていた。
国公立大はいうまでもなく,
私立といっても経営母体は
学校法人という形で,
“枠”を嵌められてきたのである。
それは教育の成果が,
目の前の数値で表されるようなものではない。
効率とか,営利といったことが基底因となるものではない。
効率性なるものを超え,
利得から離れたところでなされるのが,
ありうべき教育にほかならない。
LEC大やその他の「株式会社」立大学が
“市場から退場”するのは
至極当然のことなのである。
市場原理主義と一線を画した大学,
これこそ真の大学である。
このようにとらえるのではなかろうか。

しかし,これは現実の一端しか見ていない者の言い方である。
「株式会社」立の大学が消える,
というわかりやすい現象に惑わされてはならない。

なぜなら,
今や構造改革に連動して,
国立大学は法人化し,
その性格が大きく変わっているからである。
何よりも優先されるべきなのが,
コスト原理の徹底,
ビジネスマインドのあふれる運営
ということになったのである。
私大は何をかいわん・・。

大学は,大学基準協会という機関による
大学評価や認証評価なるものを受け,
「基準に適合している」との
認定を受けることが必須となった。
その適合評価。
施す教育について,具体的目標を立て,
それがどれほど達成されたかを
自己点検・自己評価させ,
それに基づいて認定を出すと言うやり方である。
短期的・目の前のことと,
その達成にのみ関心が払われる仕組みといえばよいか。
あるいは,合言葉は“効率”。

つまり,「株式会社」立が消えれば,
問題が解消された
というのではまったくないのである。
「株式会社」立と寸分たがわぬ実態,
これがいまの多くの大学の姿というほかないのである。あぁ。