発想の転換2010年01月13日 21:18


私大の年度末は早い。
一年生向「大学入門講義」が,まず終了。
全員に“総括”を話して「いただいた」。
講義のネライだけは伝わったようである。
「何を言えばいいのか」がわかる,つま
り「場を読む」ことができる,とは思わ
れないから,「本心」を語ったのだと思う。

「レジメって,はじめて知った」
「ディベートが面白かった。意見を言い合
うなんてやったことがなかったから」
「ディベートの司会って,それぞれの発言を
理解しないとうまくいかないことがわかった。
難しかったけど,楽しかった」
「発言して,誰かにコメントしてもらったら,
最初の考えが変化した。初めての不思議な体
験だった」
「新聞やテレビのニュースを意識するようになった」
「新聞を読むときに,ホントなの?なぜこんな風に
いえるの?って思うようになった」
「発言することに臆病だった。間違っているのが
こわかったから。でも,ミスってもいいからまず
発言するのが大事だとわかった」

もちろん,かつてであれば,
1年生でも「議論」をした。それも激しく。
新聞を読んだ。それも糾弾しながら。
レジメを書いた。それも怒りを交えて。

いまは違うのである。
『中央公論』2月号。背表紙に〈大学の敗北〉とある。
その「特集」の最初が養老孟司。その冒頭に
「大学生の学力がひと昔前の小学生並みになっている」
とある。
その通りである。
しかし,現実を出発点とするならば,
こんな風に考えるのがよさそうである。
小学生だったら,鍛えようがあるじゃないか,と。
砂地に水が吸い込まれるダイナミズムを知るべし,と。

今年は発想の転換をはかってみよっと・・。




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