いまの世界のもっともやっかいな問題2008年05月31日 21:35

松岡正剛が『月刊・現代』(7月号)に,「日本型資本主義のすすめ」を寄せている(どこかでの講演録)。その冒頭部分におもわず唸った。

「いま,世界が抱えているもっともやっかいな問題は『○○』でしょうね。これは『環境』『新しいエネルギー』と並んで,20世紀後期に入ってから爆発的に深刻化したテーマで,いわば人類史上の最大の自己矛盾が,現代社会に表出したと言っていいとおもいます。」(同誌61頁)

「もっともやっかいな問題は『○○』・・。」この「○○」が何か,おわかりになるだろうか?

先日,大学1年生対象の基礎ゼミ(総合演習と呼ぶ)で,「死刑制度のメリット,デメリットは何でしょう?みなさん,どう思いますか?」と問う男の子がいて,のけぞりそうになった。しかし,考えてみれば,いまの学生のというよりも,いまのわたしたちの基本的な発想の枠組みを端的に示している,という意味では不思議でもナンデモない。二項対立というわかりやすさ。あいまいさを排除したシンプル思考。評価に値するのはいわゆる形式知のみとする合理性。残念ながら,こうしたことが,わたしたちの今の社会の標準として自明視されているからである。松岡正剛は,これを「グローバリズムがどんどん入ってきて『はかなさ』や『停滞』を排除する」(同67頁)状況ととらえる。「はかなさ」や「停滞」というのは,「進歩」という西洋の価値観とは無縁の「無」や「空」という東洋の価値観に照応する概念をさす。

それはともかく,先の「○○」。ここに入る二文字は「大衆」である。「いま,世界が抱えているもっともやっかいな問題は『大衆』でしょうね。」ということである。

なぜ,世界が抱えるもっともやっかいな問題として「大衆」が前面に躍り出たのか?松岡の指摘は,なるほど1つの解として検討に値する。ひと言でいえば,イギリスからアメリカにわたったエミグレによる国民国家(ネーション・ステート)形成という実験の結果ということになる。「多数決の論理」による民主主義と,勝ち組・負け組を二分する資本主義の定着をはかる実験である。第二次大戦後の冷戦体制下では,アメリカが優位に立つべく創出した戦略がさらに加わる。戦略は,新植民地主義,セキュリタイゼーション=証券化の金融工学(新自由主義),ゲーム理論に集約されるが,これらが「均一化した大衆社会」を撒き散らすミナモトになったというわけである。

松岡の文章としては,論理の運びが珍しく“とんでいる”ところもあるが,講演の話をおこしたものということからこれはやむを得まい。15分,余裕がある人におすすめ・・。