工藤さんとの別れ・・2008年07月15日 19:21

工藤さんの通夜,告別式は,無宗派・友人葬として行われた。故人の遺志であると同時に遺族の意思でもあった。僧の導きなどのような宗教色は一切なく,通夜と告別の儀式は静かに進行した。フルート演奏で始まった最初の曲は,「いちご白書をもう一度」。お仕舞いの曲が「時の流れに身をまかせ」と「襟裳岬」。日頃口ずさんでいたとのことだが,いかにも工藤さんらしい(いちご白書・・はYumingの作詞・作曲。とはいえ,直接教える機会はなかったはず)。とまれ,私も一,二度聴いたような気がするが,はっきりした記憶はない。(告別式の時は,カントリーモードで始まり,ポーランド民謡の森へゆきましょう,と最後は,千の風になって。たぶん,知り合いだった新井満が訳詩・作曲を手がけたから・・)。

式は,アンジェイ・ワイダやポーランドの現大統領レフ・カチンスキ,駐日ポーランド大使,さらにポーランドペンクラブ会長,クラクフ大学日本語学科の教え子などの別れの言葉とともに進んだ。これが文化の違いだろうと感じたのは,いずれもいわゆる定型的な文ではなく,真に自己表出の次元で書かれた文章だったこと。しかもぞれぞれが,工藤さんとの関係を基点とする心のありようを綴った長い長い文章であったことであった。唯一,文字通りひと言だったのがレフ・ワレサの弔電。しかし,あれはむしろ短文でこそ表せると思うワレサの胸のうちを示していたと解すべきなのだろう。

ずっと記憶に残ることになるだろうと確信させる弔辞のなかに二人の日本人のそれがあった。一人は,ロシア・ポーランド文学者の沼野充義。工藤先生は未知のポーランド文学を,妖しくもゆたかな世界へと誘う輝かしい導きの星であった。・・シュルツ,ゴンブローヴィッチ,ミッキェヴィチなど異端・異色のポーランド文学をいつの間にか日本文学の宝庫そのものをゆたかにするものへと変えてしまった・・。79歳にして初の詩集『不良少年』を刊行し,・・好きなことしかやらないで,徹底的にわがままを通した。死でさへも,この永遠の不良少年工藤幸雄の輝きを消すことはできない・・。
もう一人は,共同通信社の方。工藤さんが,共同通信社に入社したのはレッドパージの嵐が吹き荒れた直後だった。その当時,レッドパージで追い出された者よりも過激なのが外信部に採用されたと瞬く間に噂がひろがったという伝説がある・・。その人こそ工藤さんであったが,それは右か左かの思想の問題ではなく,自由を貫いて生きるかどうかを体現するものであった・・。異端に対する優しいまなざしと,反骨精神は終いまで一貫していた・・。

昼に飲むビールは,一瞬にして酔いへと導いてくれた。

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