「相次ぐグーグルからの『頭脳流出』」2009年09月06日 17:30

日経朝刊に
「米グーグル,『頭脳流出』止まらず」の記事あり。
中国グーグルのトップが
辞めるニュースが流れたばかりだが,
今年になってから,
米州の幹部のAOLのCEOへの鞍替え,
アジア太平洋地域の責任者の有力ベンチャーへの移籍など
が相次いでいるという。
最近注目の
ツイッターの二人の最高幹部も
元グーグル社員のようだ。
日経の記事は,
グーグルの株式上場から5年,
株価や業績が伸び悩む状況から
いかに抜け出すかが
問われると指摘して,
「頭脳流出」との関連を示唆している。

しかし,今年4~6月期の決算に示されるように
経済危機の状況下でもなお
増益傾向を示している。
これは人員削減効果によるものであるが,
削減対象が,
ここでいう「頭脳」というわけではない。
ということは,
グーグルからの「頭脳流出」は,
むしろいわゆるネット企業の
さらなる可能性を嗅ぎ取った
「頭脳」たちの投機活動というべきだろう。
すなわち「頭脳」が,
削減対象となるのであれば,
投機というよりは投企(ハイデッガー)
というべきだが,
そうではないということである。
あくまでもネットビジネスは,
発展途上であるがゆえに,
ベンチャーの対象として
魅力に富むのである。

ところでグーグルといえば,
例の「図書館プロジェクト」問題がある。

数日前,ある出版社から
「著作者(著作権者)各位」として
「弊社は,グーグル社および裁判所(ニューヨーク南地区連邦地方裁判所)に対し,
『和解案』からの離脱(オプトアウト)の
手続をとることにします」という
「通知」が届いた。

周知のように,
「図書館プロジェクト」は,
ネット上で書籍の内容の
検索・閲覧を可能とする企画であり,
著作権切れの古書や
絶版本をデータベース化の対象とするが,
それだけではない。

「教育や評論、研究など公正な理由があれば
無許可で著作物が利用できる」とする
アメリカ固有のルールを適用し,
現に出版されている書籍も
無断でデータベース化してしまおうというもの。

しかも,出版社の「通知」には,
「絶版となった書籍や市販されていない書籍」には
「米国で市販されていない本」が含まれ,
したがって,
日本語で書かれたほとんどの書籍がこれにあたる,
ことが説明されている。

もちろん,グーグルは,非営利組織ではない。
営利を追求する一私企業にすぎない。
「図書館プロジェクト」は,
著作権フリー(コピーレフト)の地平で
試みられているわけではない。
逆である。
著作権を無化しつつ,
ビジネスチャンスを
徹底追求しようというのである。
だから許せない,のである。

「流出頭脳」も,
グーグルのこうしたビジネスチャンス追求の姿勢を
よく学んだ者たちなのであろう。

『ピアノを弾くニーチェ』2009年09月13日 11:38

『ピアノを弾くニーチェ』
書名に惹かれて注文ボタンをクリックした。
エッセイ集である。
書き手が馴染みのある哲学者木田元
ということもクリック後押しに与った。
1週間ほどで手元に届いた。
(いわゆるネット書店ではないので多少時間がかかるのはやむをえない)。
本のタイトルともなったエッセイ。
「あとがき」で著者みずから
「羊頭狗肉とお怒りになる方もおられるだろう」
と弁明しているが,
いささか欺かれた感は確かに否めない。
同名のエッセイは,
日経新聞のコラムに載せた
わずか700字ほどの短文というばかりではない。
「ピアノを弾くニーチェ」が喚起するイメージと
書かれている中味に
かなりのギャップがあるのである。

ワグナリアンとして知られるニーチェであってみれば,
鍵盤を巧みに操り,
聴衆をさそいこむ複雑な色を奏でる姿
をつい想像してしまう。
が,そうではなかった。
40代半ば「精神に失調」をきたしたあとの
エピソードなのである。
発病後は母親と暮らしていたニーチェ。
母親が知人宅に出かけようとすると,
ニーチェがまるで子どものように
その後を追う。
そこで母親は
ニーチェを知人宅のピアノの前に坐らせ,
いくつかの和音を弾いて聴かせる。
「すると彼は,何時間でもそれを即興で変奏しつづける。」
「その音の聴こえるあいだ,母親は安心して知人と話ができた・・」。

イメージが欺かれた,それはそうである。
羊頭狗肉,それも否定できない。

が,この短いエッセーは,
それを超えた
ニーチェの凄絶な生のありようを
いわばモノクロームのなかに映し出している。

表題から離れれば,
冒頭近くのバルザックに関するところがおもしろい。
たった51年の生涯に
なぜあれほどに大量の作品を書くことができたのか
についての薀蓄である。
しかも,大量に作品を残しながらも
バルザックが借金づけの生涯を送った謎
にもせまっている。
だからおもしろい。お奨めしたい。

そういえば,確かマルクスが,
文学者のなかでは
バルザックを買っていたのを思い出した。
トルストイよりもバルザックがいいと,
比較しながら指摘したあれである。

プロフェッショナルの消滅2009年09月20日 15:57

過日,酒屋に足を運んだ。
清酒を買おうと思ったのである。
しかし,けんもほろろの応対を経験した。
自分が一番気に入っている銘柄は,
伏見の産で,仙台ではほぼ入手不可である。
クルマを30分ほど走らせると
置いている店が1軒ある。
これは知っている。
しかし,クルマで30分は遠すぎる。

そこでネットの出番ということになる。
バーチャルモールに入って,
検索をかければ間違いなくサクッと出てくる。
だが,これも結構ストレスとなる。
発注先の酒店が,群馬や神奈川ならまだいい方で
滋賀,京都(これは当然だが)だったりするからである。
たかが清酒に,
遠路運んでもらうのはやはり気がひける。

さいわい最近,
そのお気に入りの銘柄のテイストに
比較的近いと感じるものを知った。
いわゆる地酒である。
しかし,これもどの店でも置いてあるとは限らない。
そこで冒頭の話,となる。

「○○はおいてませんか?」
酒屋のこたえ。
即,「ありません。扱っていません」
そこで当方が問う。
「○○に近い感じのものはありませんか?」と。
間髪をいれずのこたえ「ありません」。
けんもほろろ,というほかないのである。
愛想も何もない。

そこで,話はきょうのステーショナリィ・ショップにとぶ。
「京大式カード」を求めて店に入った。
いわゆる路駐での買い物だったから,
短時間で戻らなければならない。
店に入って,ざっと見回した。
ない。しかもどのコーナーか勘が働かない。
そこで店員に尋ねた。
「京大式カードは,どのあたりですか?」
こたえは,即
「そのようなものは当店では扱っていません」。
こちらも即,「詳しい方に訊いてもらえませんか」
とたたみかける。
店員は,渋々いささか古そうにみえる店員に訊いた。
その店員が出てくる。
こちらは再度「京大式カードはどのあたりにありますか?」と。
回答は同じだった。
「そのようなものは置いてません」。
そこで詳しく手振りを加えつつ
「大きさはB6で通常100枚の束になっているカード」
と説明する。
「情報カードですか?」
いまでは「京大式」というのでは
通じなくなったのであった。
手にした品物にはもちろん「京大式」と書いてあった。
ぷふい!

「プチ思想ブーム」でもいいじゃないか2009年09月26日 21:58

朝日に「プチ思想ブーム」の記事。
思想関連の本が
結構売れているとか,
30代に論客が出現とか,
昔風にいえば「学習会」が出来たり,
という現象をとりあげた企画。
ただし,内容は『超訳「資本論」』だったり,
光文社古典新訳文庫(文芸分野では誤訳問題で炎上?している・・)
のカント,ニーチェ,トロツキーだったり,
ということのようである。
古典新訳文庫は,
原典だから一応「思想関連の本」を
名乗ってもいいだろうが,
超訳などはどうだろう。
まあ,そこがプチ思想ブーム,
というユエンなのだろう。
あくまでも軽いノリとしての思想書・・。
その意味で,記事の中に
「思想メディアが読者の悩みや関心を聞いてあげる,
そういうサービスが欠かせなくなった時代の結果」
だと解説しているところがポイントか。

いまは,思想メディアから読者に接近するのであって,
読者がある種の覚悟をもって古典に向かう,
のではなくなったのである。
とはいえ,
あくまでもソフトで,
甘く仕上げられていようと,
これに近づこうとする欲があるだけ
よしとすべきなのかもしれない。

先日,学生(たち)に,
輪読を想定して
ある本の購入を促す際,
「大学生協にまとめて注文しておくので,ころあいを見て買ってね」
と言ったら,
多くの学生がとても怪訝な,
なんとも評し難い表情を
示したからである。

「なんで生協なんすか。どこで買っても同じじゃないっすか」。
「本屋が違えば本も違うわけでないから,もちろんそうだ。
でもね,生協で買えば割引があるでしょ」。
「生協の組合員であれば
割引てくれるらしいっすが,
おれたち組合はいっていないっす。
割引の対象は本とCDくらいだし・・。
本なんて買わないし,
音楽はネットからゲットでOKっすから」。
「おいおい,本は買わないって・・」
と言いかけたが,
無駄なことだとやめた。

これまで,本を出す時に,
大学生協価格(1割引)で
3千円未満がネライ目と考え,
いかにその線に持っていくのかに
悪戦苦闘してきた。
こっちがばかだった・・。
テキは,「プチ」以前なのである。