『ピアノを弾くニーチェ』2009年09月13日 11:38

『ピアノを弾くニーチェ』
書名に惹かれて注文ボタンをクリックした。
エッセイ集である。
書き手が馴染みのある哲学者木田元
ということもクリック後押しに与った。
1週間ほどで手元に届いた。
(いわゆるネット書店ではないので多少時間がかかるのはやむをえない)。
本のタイトルともなったエッセイ。
「あとがき」で著者みずから
「羊頭狗肉とお怒りになる方もおられるだろう」
と弁明しているが,
いささか欺かれた感は確かに否めない。
同名のエッセイは,
日経新聞のコラムに載せた
わずか700字ほどの短文というばかりではない。
「ピアノを弾くニーチェ」が喚起するイメージと
書かれている中味に
かなりのギャップがあるのである。

ワグナリアンとして知られるニーチェであってみれば,
鍵盤を巧みに操り,
聴衆をさそいこむ複雑な色を奏でる姿
をつい想像してしまう。
が,そうではなかった。
40代半ば「精神に失調」をきたしたあとの
エピソードなのである。
発病後は母親と暮らしていたニーチェ。
母親が知人宅に出かけようとすると,
ニーチェがまるで子どものように
その後を追う。
そこで母親は
ニーチェを知人宅のピアノの前に坐らせ,
いくつかの和音を弾いて聴かせる。
「すると彼は,何時間でもそれを即興で変奏しつづける。」
「その音の聴こえるあいだ,母親は安心して知人と話ができた・・」。

イメージが欺かれた,それはそうである。
羊頭狗肉,それも否定できない。

が,この短いエッセーは,
それを超えた
ニーチェの凄絶な生のありようを
いわばモノクロームのなかに映し出している。

表題から離れれば,
冒頭近くのバルザックに関するところがおもしろい。
たった51年の生涯に
なぜあれほどに大量の作品を書くことができたのか
についての薀蓄である。
しかも,大量に作品を残しながらも
バルザックが借金づけの生涯を送った謎
にもせまっている。
だからおもしろい。お奨めしたい。

そういえば,確かマルクスが,
文学者のなかでは
バルザックを買っていたのを思い出した。
トルストイよりもバルザックがいいと,
比較しながら指摘したあれである。

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