プロフェッショナルの消滅2009年09月20日 15:57

過日,酒屋に足を運んだ。
清酒を買おうと思ったのである。
しかし,けんもほろろの応対を経験した。
自分が一番気に入っている銘柄は,
伏見の産で,仙台ではほぼ入手不可である。
クルマを30分ほど走らせると
置いている店が1軒ある。
これは知っている。
しかし,クルマで30分は遠すぎる。

そこでネットの出番ということになる。
バーチャルモールに入って,
検索をかければ間違いなくサクッと出てくる。
だが,これも結構ストレスとなる。
発注先の酒店が,群馬や神奈川ならまだいい方で
滋賀,京都(これは当然だが)だったりするからである。
たかが清酒に,
遠路運んでもらうのはやはり気がひける。

さいわい最近,
そのお気に入りの銘柄のテイストに
比較的近いと感じるものを知った。
いわゆる地酒である。
しかし,これもどの店でも置いてあるとは限らない。
そこで冒頭の話,となる。

「○○はおいてませんか?」
酒屋のこたえ。
即,「ありません。扱っていません」
そこで当方が問う。
「○○に近い感じのものはありませんか?」と。
間髪をいれずのこたえ「ありません」。
けんもほろろ,というほかないのである。
愛想も何もない。

そこで,話はきょうのステーショナリィ・ショップにとぶ。
「京大式カード」を求めて店に入った。
いわゆる路駐での買い物だったから,
短時間で戻らなければならない。
店に入って,ざっと見回した。
ない。しかもどのコーナーか勘が働かない。
そこで店員に尋ねた。
「京大式カードは,どのあたりですか?」
こたえは,即
「そのようなものは当店では扱っていません」。
こちらも即,「詳しい方に訊いてもらえませんか」
とたたみかける。
店員は,渋々いささか古そうにみえる店員に訊いた。
その店員が出てくる。
こちらは再度「京大式カードはどのあたりにありますか?」と。
回答は同じだった。
「そのようなものは置いてません」。
そこで詳しく手振りを加えつつ
「大きさはB6で通常100枚の束になっているカード」
と説明する。
「情報カードですか?」
いまでは「京大式」というのでは
通じなくなったのであった。
手にした品物にはもちろん「京大式」と書いてあった。
ぷふい!

「始末がいい暮らし」2009年07月02日 19:15

朝日のコラムの1つに
「経済気象台」がある。
あまりいい評判はきかないコラムではある。
それはともあれ,
きょうのタイトルは「『始末がいい暮らし』の味方」。
〈始末がいい〉というのは,
質素,つつましいというほどの意味。
と,すれば今日日,
「質素な暮らし」の味方,
って何だろうか,と興味がわいた。

正体は,割れた煎餅とか破れた海苔などを
格安で提供する店だった。
時分柄という意味でいえば,
さしずめ桜ん坊のバラ詰めが思い浮かぶ。

以前,目下の経済危機(大不況)下でも売れる品々について
エントリーしたが,
そこではいわゆるワケアリ商品が
安い売価のせいで
人気を得ているというのに注目したのであった。
いいかえれば,景気の回復が進めば,
後景に退く性質の現象ということである。

それに対して,
「始末がいい暮らし」の味方,の場合は
生活様式,生活観に接続するような現象と見られる。
曲がった胡瓜よし,
ふぞろいの林檎異議ナシ,
の世界なのである。
「均質・標準・均整」志向からの離脱。
それが仕掛けられた多様化の陥穽とは無縁であるのならば期待がもてよう。

この同じ朝刊の投稿欄(声)に,
かつてコンビニエンス・ストアのオーナーだった方が,
例の「セブンイレブンの値引き問題」
について書いている。
「もったいない」「廃棄をなくせ」というが,
コンビニが競争社会で生き残るためには,
他店よりも常に
新しい商品(製造間もない商品)を置くことが
不可欠だということを知るべき,
というのがその主張。
つまり賞味期限が来た商品を廃棄するのを
「もったいない」という消費者に,
賞味期限が一番あとの,
新しい商品を探して買う
というのをやっていないか,
と問うているのである。
消費者が,
市場における競争原理を
appeaseするような
生活観をもつことの意味を
訴えているのである。

棚の奥に手を伸ばして,
後入れ商品を探るようなことは
厳に慎まなければならないのである。
反省 (;^_^A  。

百貨店が振るわなくなった意味2009年04月15日 22:45

昨日公表された
「大手小売業」の2月期決算の状況が,
今朝の新聞各紙に載った。
百貨店もスーパーも
軒並み利益の落ち込みがすさまじい。

マクネアの「小売の輪の理論」では,
スーパー・ストアは,
低価格を武器に百貨店に対抗し,
これを超えようとしてできた
新しい小売業態であった。
日本では,〈主婦の店〉「ダイエー」が,
総合スーパーとして巨大化,
1970年代に売上で
三越を抜いたのが典型例である。
当時,大変な話題を呼んだ。
以後,百貨店は,
衰退のワダチから抜け出せず,
今では総合スーパーも
往時の勢いを完全に失った。

「小売の輪の理論」から見れば,
いま最も気合が入っているのが,
製造型小売業。
UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE を謳う
“ユニクロ”が体現する業態である。
「小売の輪の理論」の新しい輪を示すとともに,
折からのDepressionによる
徹底した低価格へのこだわりが後押しをする。

これに対し,
百貨店の不振は,
酷烈とか凄烈といった形容こそが
あてはまるというべきである。
J・フロントリテイリング(大丸+松坂屋)は,
営業利益が前期比34.1%減。
高島屋の連結営業利益は,34.2%減。
ミレニアムリテイリング(そごう+西武)も,
営業利益の落ち込みが26.5%。
これは不況のあおりで
「宝飾品や主力の衣料品が売れなかったせい」
というようなレベルの話ではない。
まさに構造的なトレンドだというべきである。
百貨店の利用に関する最近の調査によると,
百貨店に感じる一番の魅力は
「高級感」である。
しかし,
同時に最も多い不満が「価格が高い」。
ここに読む解くべきポイントがある。

「高級感」をもとめることが
「高価格」を受容することと
一体ではないからである。
百貨店全盛時には
「高級感」と「高価格」は
当たり前のように並存していた。
一つ上か,二つ上の
ステータス風を求めつつ
デパートメント・ストアに詣でるのが
当世風だったのである。
その背景にあったのが
いわゆる「一億総中流」の
意識の広がりであった。
下の層の人たちが,
階段を上っている実感を得,
多くの人たちが
自分を「中の中」に格付ける
という動きであった。
中間層が年々その厚みを増していった。
「高級感」を与えるものは
「高価格」であり,
それを手にする自分は
かつての自分とは違うと思ふ錯覚の妙。
百貨店は
こうして大衆的に支持された時期をもった。

これに対し,現在,
中間層の両極分解が進む。
一握りの上層と
底の知れない圧倒的な数の下層と,
という具合に。

自分を“デパートの顧客”と思う錯覚はもう生じない・・。

やがて哀しき,・・品々2009年02月18日 20:45

百円冷凍食品,韓国旅行,ネットブックPC。

これらが何かお判りになるだろうか?

では,海外オークション,ブランド品レンタルと続けば・・。

それでもまだ見えない?

大容量弁当箱,ワケアリ商品を追加したらどうだろう。

そして,

きわめつけとしては「夜逃げ屋」。


そうなのである。Great Depssion(大不況)でも「売れまくる」商品のリストなのである。

外食や弁当より割安で食べられる百円冷凍食品。

大容量弁当箱も要は外食負担からのエスケープ。海外では即席めんがバカ売れらしい

円の独歩高を背景とした韓国旅行や海外オークション。

高速無線通信接続への加入契約が購入条件のネットブックPC。そういえば,先日家電量販店で,たった百円というのも見かけた・・。

ブランド品レンタルは,100万円もするような高級ブランド品を一ヶ月10万円(プラス保険料)で「使用権」を得ることとある。

見た目がふぞろいだったり,賞味期限切れだったり,というのがワケアリ商品。

こうして見ると,いずれも売れる理由はそれなりに説得的である。

で,夜逃げ屋。

去年後半から需要が急増しているという。

Depressionのなかで借金が累積し,商いがストップする。

その結果としての夜逃げ。

「弁護士に任せればすべて大丈夫」というのは事の一面でしかなく,

「一旦安全な場所に身を移して,それから法律の専門家を交えて解決を計る」というベターチョイスのためのいわば最後の手(last resort)なのである。

会社を潰すといっても,実は多くのオーナーは「1年くらいは踏ん張る」。

だから,今年は,いよいよもって「夜逃げ屋」の活況がみられるだろうというのである。・・・・