民主党の〈混迷〉の読み方2006年04月02日 18:58

一昨日(3月31日)、民主党の執行部が総退陣した。昨日の新聞各紙が社説でこの問題を取り上げている。全国紙と有力ブロック紙では、日経だけが例外(同紙の社説対象は、日歯連ヤミ献金事件の村岡判決)。各紙の論調で共通していたのは、民主党の遅すぎた決断と民主党の危機管理能力の欠如を指摘した点だ。もちろん危機管理能力の欠如の現われが遅きに失した決断という関係になろう。しかし、正直のところ、各社説の主張はいわば表面的・形式的な次元にとどまっているという印象が拭えない。ここでは大きく2つの点に絞って指摘しておく。1つは、危機管理能力の欠如の中味との関連の問題。そもそもメールの真贋の判断をチームのレベルで行う態勢をもたず、全てが永田個人の判断によるものだったという点、さらにニセもの、根拠のないものを「確証がある」と言い張ったように、メールの信憑性に疑問符がついた最初の段階での対応に誤りがあったという点。社説の多くは、こうしたことを指摘しているが、当ブログ(2月23日)で書いた、「明らかに偽造メール」と分かる顔をしたメールによって、「真」のスキャンダルを伝えようとした者がいたかもしれない、という可能性(のようなこと)についてはまったく言及していない。いくら幼稚だとはいえ、一応政治の世界に身を置いている者が「確証がある」と判断したのは、「ホリエモンから自民党幹事長の次男への資金提供」という「はなし」に大いなるリアリティを感じたからではなかったのか。こんな視点を入れれば、真相は何なのか、真の実態を抉り出すことなく終わってしまっていいのか、という指摘があってしかるべきということになろう。しかし、こうしたことは「週刊誌」や「日刊紙」などのイエローペーパーにまかせておけばいい、というに違いない。しかし、もう1つのヨリ大きい問題は、永田メール問題によって、いわゆる4点セット問題を通して現政権を追求する機会が失われたこと、国会審議がすべて与党ペースで進み、新年度予算が実にあっさりと成立してしまったこと、いいかえれば国会の空洞化、与党の暴走の現実を具体的に指摘しているのが、ほとんどない(わずかに河北新報と東京新聞)点である。もちろん要求されるまま「全面謝罪の新聞広告」を掲載した政党が出現した前代未聞の事態にふれている社説は皆無だ。