社会主義市場経済と儒教2006年05月06日 21:55

本日は新聞休刊日だからというわけでもないが、昨日の朝日新聞(2006/05/05 二面 国際)に掲載された特集から。中国でいま儒教がブームという企画記事。「論語」を音読させる子ども「塾」やビジネスマン向けの「儒教教室」が花盛りだという。仕掛け人は、市場経済の競争のなかで道徳観の著しい低下が進む状況に危惧の念を抱いてということであり、求める側は、わが子は、競争第一のもとでもものごとの道理はわかる大人になって欲しいと思うから、とのこと。要するに、市場経済の進展のもとで、いわゆる「私」主義が浸透・拡大する一方で経済格差の広がりが顕著になり、何らかの「規範」が必要となった現実が求めたということなのだろう。

このブログで、1990年代初頭に初めて中国に行ったときのことをエントリーしたことがあるが、まさに「市場経済」の暴走に歯止めをかける「何か」が求められる、ある意味で当然と言ってよい局面を迎えたということだと思われる。中心思想は仁で、孝と悌(年長者 に従順であること)の家族道徳が基本という教え、いいかえれば社会と集団を重要視する孔子思想を「規範」とする新しい中国の政治経済システムの輪郭がようやく見えてきたということなのかもしれない。社会主義市場経済というよりは「中国資本主義」ととらえるべき段階に入ったことを示している。 生誕が2557年前の孔子の教えを基盤とする「資本主義」誕生というわけだ。

それはともあれ、日本には儒教もなければキリスト教もなく、つまりその意味での「規範」のない資本主義が存続してきたことになる。公(政府)とか企業共同体や家族共同体がその機能を担ってきたということなのだろう。いまの経済思想が主張する「小さな政府」、すなわちむき出しの市場経済の意味、社会編成に対するその影響を透視する必要があると見なければなるまい。最近ことさらにコンプライアンスが強調される意味を読み解くことから始めよう・・。