吉岡忍「鞄を求めて」に寄せて ― 2006年05月14日 23:56
ノンフィクション作家の吉岡忍が書いた「鞄を求めて」というエッセイを読んだ(日本経済新聞 2006/05/14 文化面)。カバンについて同じような「想い」を抱いている人っているんだなと感じ、“連帯”したくなった。一言でいえば、「なかなか気に入った鞄に当たらない」ということである。それは、形だの色だのといった狭い意味でのデザインや素材の質感はもちろん、「私」の使う様々なモノを入れるのに最適な機能的空間が配置されているのか、という問題だ。吉岡は、結局「なかが空っぽの、ランドセルみたいな鞄にたどり着いた」という。「内部の仕切りやポケットくらい、自分で作ればいい」との最終結論に到達したというわけだ。まったく同感だ。ユーザーの求めるカバンを受注してそれをそっくり製造してくれる、というところがないものかと思う。既にビジネスとして存在しているのかもしれないが、少なくともこれからめざされてよい一つの方向ではないかと思う。もちろん、そうなるとユーザー(買い手)のデザイン力そのものが試されることにもなるが、それはそれでかなりイクサイティングで面白い。
10年以上前に、ラフォーレ原宿にあったカバン店(当時)で一目ぼれしたカバンがあった。ただ、即購入と決断するにはとても勇気が必要な値段だったので、次に来たときにまだ在庫していたら購入する、と決めた。「賭け」は「賭け」にもならず、次に訪れたとき、棚にはまったく別のカバンがすわっていた。自分の場合には、少なくともここ10年は、このまぼろしのカバンがカバンを求める際の原点となった。イメージとして一人歩きしたせいか、それはどこに行っても決して具体的には存在しない。それほど完璧だった・・・?。
10年以上前に、ラフォーレ原宿にあったカバン店(当時)で一目ぼれしたカバンがあった。ただ、即購入と決断するにはとても勇気が必要な値段だったので、次に来たときにまだ在庫していたら購入する、と決めた。「賭け」は「賭け」にもならず、次に訪れたとき、棚にはまったく別のカバンがすわっていた。自分の場合には、少なくともここ10年は、このまぼろしのカバンがカバンを求める際の原点となった。イメージとして一人歩きしたせいか、それはどこに行っても決して具体的には存在しない。それほど完璧だった・・・?。
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