インドにて―その12006年09月08日 13:15

Wipro E-City
インドに来て3日目。ようやくネットが自由になる。

いま何故「インド」に人々の視線が集まるのか。第1の印象は15,6年前に初めて中国を訪れた時のそれとほぼ似ている。日本になぞらえれば19世紀後半から現在(21世紀)までのすべてが、現在に凝縮されている、という感じといえばいいか。ただし、インドの場合は様々な格差がいたるところにあり、それらの因って来るプロセスを想像すると気が遠くなるような世界に吸い込まれる感覚を覚える。インドも90年代初頭まで社会主義型政策を基本としていたが中国政府の統合力がいかに強力なものであったかが想像される。

格差のなかでもっとも分かりやすいのがもちろん経済格差。日本で言えば明治期の貧民と21世紀の金融長者とが同居しているイメージになる。しかもインドの場合21世紀の長者は、日本ではまだ存在していないタイプのそれという趣をもつ。それだけ新しい。いいかえればこれが“IT大国”と注目されるCutting Edgeということになる。昨日インドのシリコンバレーと注目されるバンガロールに本社をおくWiproを訪ねた。ソフトウェアを生み出すことに関しておそらく世界のどの企業もまだ取り入れていないやり方を大々的に現実のものにしている21世紀型企業がそこにあった。しかももちろんWiproだけではなく、インドソフトウェア企業最大手Infosysやタタ財閥の流れを汲む企業も同じようなやり方を導入しているらしい。効果のほどをめぐって激しい競争が展開されはじめている。その21世紀型の「やり方」というのは、端的に言えば、人の能力に依存するソフトウェア開発力を、きわめて高度な技術者を知的・専門的に徹底的に鍛えて育成するなかで実現しつつ、開発に関するKnow-howそのものは企業の資産として保存し、しかも絶えずそれらを更新する体制の構築ということになる。要は、優れた社員が仮に他の企業に移るとか独立して起業して抜けたとしても、まったく問題のない体制ということだ。いわば独立起業した社員の開発力は瞬時に陳腐化される、という構図といえばいいか。なかなかに面白い。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://g-village.asablo.jp/blog/2006/09/08/515915/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。