インドにて―その72006年09月18日 01:01

日本を出発する間際に、日本で言えば「商工会議所」の権限を強くしたようなところ2箇所で「日本型経営システム」に関するプレゼンテーションと質疑応答の場が急遽設定された。プレゼンには日本の海外進出企業における「日本型経営システム」について長年研究してきたものがあたった。昨日はムンバイ(Bombay Chamber of Commerce & Industry)だった。

一昨日のプネ(Mahratta Chamber of Commerce,Industries and Agriculture)では、60名ほどが入る会場が一杯になった。みな「日本型経営システム」にすこぶる強い関心をもつ人たちだ。年配者から若い層まで、男性女性問わず、熱心に聴き、次々と質問をたたみかけてきた。

日本でも、例えば「市民講座」などを開くといわば「市民講座おたく」とでも呼ぶべき層が必ずいて、マニアックな質問をするのに出会うが、インドでも事情は同じだった。これはご愛嬌というべきだろう。微笑ましい。

それはともかく、「日本型経営システム」への興味は、その鋭い質問に表れていた。日本の大学生などとは比較にならないほど的確にポイントをついてくる。あたまの回転が速いし、話はまるで速射砲のよう。当方のヒアリング能力では何回か、繰り返してもらわないと聴き取れない。彼ら、彼女たちの最も聴きたいポイントは例えば1980年代に世界的にも注目を浴びた「日本型経営システム」とは何か、という点もないわけではなさそうだったが、むしろ今、躍進しつつあるインドに日本企業が直接進出してきたときに、どんな経営が行われるのか、という点と、インド企業が、日本とのビジネスを始めるとしてどんなことに意を用いなければならないのか、という点にあるようだった。

インドにて―その92006年09月18日 01:06

13日にムンバイから再びデリーに戻ったが、ネットはもちろん、成田で借りた海外レンタル携帯も断続的にしか使えなくなった。こうした状態が4日続いている。例えばデリーのJETROのスタッフの方と夕食をとったホテルでは無線LANのスポットがあるのを確認したが、宿泊客専用で部屋番号の入力をしなければLog-inはできない。

きょう15日は唯一、移動もなくヒアリングのスケジュールもない全休日だった。昨夜急遽、タージ・マハルに行く予定を立て、チャーターしているマイクロバスの元締に依頼した。しかし、結局は「金曜日」でclosedだとい うことが判明し実現しなかった。かわりに、デリー市内にあるイスラム教の廟堂・旧モスクに行ってきた。タージ・マハルを建立したシャー・ジャハンの祖父にあたるムガル朝の第2皇帝が建てたものだ。いまは政府の所有となっており、礼拝等の場としては使われていない。世界遺産にもなっている建物で、「金曜日」でも観光客に開かれているというわけだった。タージ・マハルは白を基調としているが、こちらはレンガ色で統一されている。広大な敷地に、壮麗な概観をもつ廟堂がいくつか皇族ごとに設けられている。暑い日差しの廟外、涼を恵んでくれる建物の 中、これを何度も繰り返す格好になった。シャーの支配力のすごさに圧倒された。建物のなかには、落書きがいっぱい。日本であれば、いわゆる相合傘に二人の名を書く、あのような感じのもの。ざっと点検したところ、まだ日本人による落書きは見当たらない。が、時間の問題かもしれない・・。

モスク を見た後に、インドで最高級という紅茶の店に行った。 旧デリーの、古く、ほとんどすべての店がいまにも崩れ落ちそうで、しかも掃除の対象からはずれて何十年 とも思われる汚れをまとった商店街のなかにその小さな店は端然としてあった。この店だけがまったく別の情調でできている。一歩入ると、店主が上品なKing's Englishで迎えてくれた。扱っている紅茶がいかに品質が高く、他店では出せない味を、磨き上げた伝統のアート(技法)が提供していることを控えめに語る。紅茶を淹れる知はいかにあるべきかをテースティングさせながら静かに教えてくれた。店を後にするときわれわれは“最高級の紅茶”でいっぱいになった紙袋を手にしていた。日本人なのだと実感する瞬間だった・・。

インドにて―その10(完)2006年09月18日 01:07

いまデリー空港(マハトマ・ガンジー空港)でこれを書いている。日本に帰るJAL機 のフライトを待っている。久しぶりに、ネットにつながった(と前提して書く)。メモしていた4日分も 同時にエントリーする。

インドを離れるにあたってインドについて現地で見 たこと、体験したことを基に簡単にまとめておこうと思う。ひとことで言えば“まだ 先の見えない複雑な社会”、こんな感じになる。その理由はランダムにいえば、以下 のようになる。当地に来る前のイメージの1つが、“IT先進国”。これは間違いでは ないが、決して額面どおりでもなかった。ITの先端は、インド国内には必ずしも向か っておらず、グローバルな企業間ネットワークに取り込まれている、というのが現実 と見た。インド国内の“経済”を牽引するような構造をもっていないととらえるのが正解 だと思われる。雇用吸収力もかつての製造業のようなダイナミズムをもちあわ せていない。インドを“IT先進国”として浮上させたソフトウェア産業は、もっぱら いわゆる先進国の製造業とのコラボレーションの形をとっており、インド国内の製造業 との連関をほとんど持っていない。製造業そのものの基盤が弱いからだ。

したがって、人口11億のうち3億人が極貧層(1日の収入が1ドル以下)という現実を どうにかするというような妙手がすぐ出てくるものではないし、息の長い話ということ になるだろう。ムンバイの空港はスラム街に包囲されているとも聞いた。300万以上の人々 がようやく棲息する地域が延々と続く。まことに衝撃的だ。チャーターバスが信号で とまると必ず窓がたたかれる。窓を叩くのは乳飲み子を抱えて金銭を乞う若い母親。 高級紅茶を求めて街を歩いたときには、一瞬一行から遅れた一人が5,6人のもの乞い に囲まれ、“危なかった”。私も、昨日街を歩いていて珍しくマック(McDonald)があった ので、デジカメを撮るために歩きをとめた瞬間、靴みがき人に“やられた”。汚物 と見えるような(実は人工物だったと思う)ものを靴先に落とされた。デジカメを 撮り終えて歩き出したとたん、靴みがきがさっと近づいてきて素早く靴先をぬぐった と思ったら金銭を要求された。見事な“マッチポンプ”の早業。“無から有を生み出 す”したたかさ。要求された金額は無視したものの“マッチ”をつけた瞬間に気づか なかった負い目は、100ルピー(250円)に値した。彼は瞬間芸で2ドル近 くを手に入れた・・。

道を聞くと、かりに自分は知らなくとも親切丁寧に”教 えて”くれる“親切”を発揮するインドの人たち。相手の窮状をなんとかしてあげたい と思う一種の近視眼的想像力といえばいいか・・。

インドの官僚たちは、1つ の質問に10の答えを延々と展開するとも聞いた。ごく身近な問題なのに、それを解決 するためには、と自らの夢を語る例が多いという。しかも、解決は容易と思われる当の 問題は一向にかわらないのが日常だと。

インドは動物との共生社会。これも実 感した。いわば手の届くところに、牛、象、犬、馬、リス、猿、いのしし、山羊、羊そして様々な鳥を見た。 が、猫を見たのはたった1回。これもミステリアスな現象。猫はペルシャの格をもとめ て西に移動したのか・・!?。インド人は例えばクルマの中に入ってきた蚊を手のひら をあわせてパチンとつぶしたりはしない。窓をあけて外に逃がしてやるのが基本だ。

インドに来て15年というJETROの駐在員(偶然高校の後輩だった)の話も印象的 だった。その1つ。インドでは、論理的に話さないと見下される。つまり、きちんと →で話を継いでいかないと、その都度確認され、そんな状況が続くと、“できない人”と 烙印をおされてしまうという。このあたりにインド“ソフトウェア産業”の正と負、光と影が ありそうに思ったがどうだろう。日常会話のレベルで英語に不自由しない人たちが全体の 2割(2億人弱)。ビジネスやアカデミックレベルで問題のない人は3%(3,300万人)とか。

まことに不思議な社会、これがインドだ。