阿久悠、逝く。2007年08月02日 22:14

作詞家の阿久悠が亡くなった。朝日新聞の扱いが異例なほどでかい。1970年代に一世を風靡した。いま振り返るとその存在感が際立っている。いわゆる歌謡曲が全盛期にあったのと完全に同期している。手がけた曲は5千以上だったとか。音楽評論家の伊藤強は、阿久悠の詞について「歌に言葉があった」というようなことを言っている。テレビでは誰かが「阿久悠は、言葉に生をきざむことを貫いた」と言っていた。曲に言葉が連れ添う、言葉が曲を成立させる。なるほど、そこに1970年代は聳立する。しかし1970年代は、言葉に凭れる音楽から、言葉が後景に退くのをむしろ択び、悦ぶ音楽への交代の時期でもあった。日本でもロックが全開の音を立て始めていたからである。そんな中にあってなお、阿久悠は、歌謡曲をひきうけ、時代を、時代の息づかいを誰よりもはやくつかみ、誰よりもはやくそれを表出した。「北の宿から」は、都はるみの感性をすなおに受けいれ、再生都はるみの世界を演出して見せた。いま21世紀。70年代からもう四半世紀以上経過した。阿久悠が悪友のもじり、というのはホントは違うのではないか・・。