柳田邦男『石に言葉を教える』を読む2006年05月01日 22:39

柳田邦男の新刊『石に言葉を教える』(新潮社)を読んだ。月刊誌『新潮45』に連載された「日本人の教養」を元にしている。書名になった冒頭の「石に言葉を教える」は、河合隼雄の、人間と自然との魂レベルでの交感の議論に触発されたイメージによるという。いわゆる心理療法における転移/逆転移を応用しつつ、石に言葉を教えることを繰り返す男をとりあげた話だ。人間と自然との交感という観点からちょっと面白いと思ったのが、宮沢賢治も考えていたという「柱に頭をぶつけた時に、自分の頭の痛みではなく、柱の痛みを感じることができるか」という問いである。アイヌの人は、こどもが例えば棚におでこをぶつけて「痛い!」と叫んだとすると、ぶつけた棚のほうをさすって「いい、いい、治る、治る」というのだそうだ。こどもの頭をさするのではない、というところがポイントである。これは、アイヌの人たちが物(棚)のほうを「治る、治る」とさすったとして、それがこぶのできたこどもの頭を無視しているわけではないことを意味している。むしろ怪我をしたこどもと怪我が発生した場の全体をとらえたうえでの行為なのだ。物をさするというのは、こどもの関心を怪我をした部位にだけ向けるよりも、状況全体に向けさせたほうが、怪我と痛みという現実を受け容れやすいというホーリスティック・メディスン(全人的医療)につながることを意味する。と、すれば、ここには確かに、いわゆる近代合理主義を相対化する、ないしは対象化する視点が存在する、と言ってよいのではなかろうかと思う。人間と人間とがぶつかったという場合でいえば、人間もまた自然の一部にほかならないとすれば、ここでいうホーリスティック・メディスンの意味はとても大きいと考えられるからだ。

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