出版業界、売上げ減少のなかで2007年06月24日 13:47

すでに旧聞に属するというべきなのだろうが、ちょっと思い出したのでふれておこうと思う。小学館が、はじめて年間総売上高で講談社を抜いたという話のこと。一ツ橋グループが、音羽グループを追い抜いたという風には必ずしもならないようだが、目をとめるべき動きだと思う。何しろ上回った要因が、書籍や雑誌の売上ではなく、広告収入と映画の配当や著作権料などを含む「その他」だったというからだ。出版業界における売上が減少に転じて10年。反転する気配は一向にない。多様なメディアの時代とはいえ、活字文化は衰退の一途を辿る。文字情報から想像の世界がひろがる醍醐味の消失といえばいいか。画像や映像などはそれ自体が圧倒的な情報量を持つ分、読み手や視聴者の想像力の発揮できる余地はほとんどない。

小学館の売上を後押しした「その他」の広告収入の問題も侮れないというべきであろう。いわゆるフリーペーパーが発行部数を伸ばしているときく。広告ですべての費用を調達する雑誌がフリーペーパー。読み手にとっては、タダで情報が手に入るスタイルの人気が高まっているというわけである。売上げを後押しした「その他」の広告収入というのもその延長上にあると見られる。この場合タダではないが、広告の掲載がなければ雑誌の価格ははるかに高くなるからである。つまるところメディアを決めるのは、あるいは情報の内容を支配するのはスポンサーにほかならないということに限りなく近づいたといっていい。

小学館の売上げに関しては、女性ファッション誌(CanCam)の高い広告収入に加えて、「ドラえもん」その他の映画キャラクターの著作権関係の寄与が侮れないようだ。したがって「ドラえもんが、小学館が赤字でも守り続けている学年誌から生まれ、育った」(出版ニュース社・清田義昭氏)というのが、あるいは美談風の話として仕立てられることにもなりかねないが、実は「赤字でも守り続けている学年誌」というのが、すでに小学館の過去のポリシーに過ぎないということに想像力を働かさねばならないのではあるまいか。「みててごらん、子どもが減少する現実を前に学年誌があっという間に消えるから・・」(学年誌そのものがはらむ問題についてはいずれ別稿で)。

イギリスの新首相2007年06月27日 22:41

ブレアが辞め、 ブラウンが新首相に就任した。様々な点で派手なブレアとは違うといわれる地味人ブラウンだが、どう してどうしてすでに野党の大物を労働党に鞍替えさせたり、明日予定されている組閣もサプライズあり、とも 噂されているようだ。自由主義経済と福祉政策の両立を追求するイギリス労働党の路線についてどんな手綱さばき をみせるのか。ブレアのスタンドプレーに辟易している人たちも少なくないだろうから一応見ものではある。 イラク大量破壊兵器に関する情報操作疑惑が引き金となって結局は退任に追い込まれたブレア。ヨーロッパ でイラク開戦時に首脳だったものはこれでいなくなった。ブラウンは、ブレアのイラク戦争への対応を 批判しているが、駐留部隊の全面撤退に踏み切ることはないだろう。ともあれ、イギリス労働党の支持率は回復 傾向を示しているともいわれる。福祉にも目を向けるといっても所詮はブレアが敷いた道を歩むのだろうに・・。

中国で「労働契約法」成立2007年06月30日 21:28

中国で「労働契約法」が成立した。実質1年半以上の審議のはての採択だった。興味深いのは、日経が詳しく報道し、読売はごくあっさりとふれたにとどまり、朝日と毎日は少なくとも現時点では、リアルペーパーでもWebでも全く取り上げる気配がないこと。

それはともかく、この「労働契約法」成立の意味は、少なくとも形式的には、中国における“労働力商品の安売り”にブレーキをかけることにあると見てよいだろう。1990年代以降“労働者使い捨て”状態が続いてきたのだが、さすがになんとかしなければならなくなったということである。中国にはすでに10回以上行き、企業調査を続けてきた経験からいえば、中国ではどれほど企業が自由に労働者を使い続けてきたか、雇用と解雇に関していかに裁量の余地が大きく、企業の強権が支配してきたか、は想像を超えるといってよかった。それはまさに“女工哀史”の世界そのものであった。もちろん日本企業を含めて欧米などの外資が中国に進出し続けてきたのも、こうした企業にとってまことに都合のいい条件が“保証”されてきたからである。これが、かつて(いまも?)“労働者と農民の国家”を前面に押し出してきた中華人民共和国での現実だったのだが、いわば湧いて出る「民工」と呼ばれる農村部からの出稼ぎ労働者が陸続としてやってくる間は企業にとって“おいしい条件”は決して消えることはなかった。それがいささか事情が変わってきた。端的に言えば、労働力の逼迫、ということではないものの、労働条件が苛酷であればそれを忌避することが出来るほどには労働者にとっての条件が上向いてきたということである。

雇用契約1年。契約の更新は3回くらいまで。17,8才で働き出し、二十歳を過ぎたらリタイア。いわゆる情報家電工場では、何よりも手先の器用さと目のよさを要求され、長時間労働に耐える肉体が求められる。その緊張を長きにわたってひきうける精神力を持続することはほとんど不可能というべきだ。だからせいぜい3,4年でリタイアする。企業にとってもまことに好都合なのである。彼ら/彼女たちは、リタイア時には、まとまった貯蓄を手にして帰郷するがゆえに、続くものが絶えなかったのがこれまでの情況。だが、情況は変わりつつあるというわけだ。

今回成立した「労働契約法」では「企業が、勤続10年以上を数えるか、期限つき雇用契約を連続して2回結ぶかした労働者との契約を更新する際、終身雇用に切り替えなければならないと明記」した。1980年代まであった「終身雇用制度」のいわば復活。日本企業を含む外資はさてどうしたものか。これまで続けてきた“おいしい条件”が相殺されて、むしろためこんできたものを吐き出さざるを得ないのか。中国からの引き揚げに踏み切るのか。いわゆる単純労働ばかりではなく、熟練労働へと労働の質の高度化の進展するなかでの意思決定を迫られることになった。あ、もちろん、この「法」が額面どおりの効果をもつのか、という素朴な疑問を打ち消すものがないのも事実だ・・。