「柄谷行人へのインタビュー」(『文學界』)を読んで2006年07月12日 21:37

『文學界』8月号に、「インタビュー・柄谷行人『グローバル資本主義から世界共和国へ』」が載っている。4月に刊行された『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を超えて』(岩波新書)の著者自身のpublic relationsの試み。ちょっと面白いのが、柄谷が、この新書を読んで欲しい対象として「ビジネスをやっている人や官僚のような人たち」を挙げている点。それが、柄谷が学生の頃(1960年代前半)までは、東大の法学部では『資本論』を独自に再構成した宇野原理論が必修になっていたところに発想の起点があるというのも興味をそそる。官庁や大企業に入る人たちも、「各人がどういう考えをもっていようと何をしようと貫徹される資本制経済の原理」を知らなければ卒業できなかったことが意外に“利いていた”と考えられるからだ。柄谷によれば「そういうことを学生の時に学んだ人たちは、経営者や官僚として、案外優秀だったんじゃないか」ということになる。「資本制経済には根本的な矛盾があるということをわかっている人は、バブルで浮かれたりすることなく、危機に対して怯えずに冷静に事態に対処できます」と。

しかし、 今では、というより1970年代の半ば以降には、「資本制市場経済はすばらしいという“イデオロギー”を吹き込まれた人たちが中心になった」。柄谷は言及していないが――たぶん、このインタビューは村上逮捕の前に行われたのではないか――、「お金を儲けることは悪いことですか?」と言い放つ村上世彰はまさにその典型的モデルということになろう。

立花隆の『天皇と東大』をまつまでもなく、柄谷の指摘は、別に目新しいものではないものの、市場原理主義が跋扈するなか、しかも社会全体に金融の“暴力”が瀰漫するなか、確かにもう一度ゆっくりかみしめてよい内容ではないか、と思う。