“産む”こととは「命を懸けることとみつけたり」2006年07月21日 22:17

現代の日本では、新生児の99%が病院で生まれている。半世紀前には、自宅で産婆さんに取り上げてもらうというのも珍しくなかった。しかし、ひょっとすると、その昔の出産のスタイルが復活するかもしれない・・。そう思わせたのが昨夜の「ニュース23」(TBS)の特集「お産難民続出!産婦人科医ゼロ時代」映像はこちら)。

お産の場が消滅しているというレポートだ。(総合)病院で産科の閉鎖・休止・縮小が相次いでいるからだが、その背景には、他の診療科目に比べて業務が過酷な産科の医師が減り慢性的不足状態が出現していること、過酷な業務の割に診療報酬がリスクの低い診療科と横並びになっていること、時には危険の大きい出産というリスクを負わねばならないことなど複合的な要因が横たわっているといわれる。

同特集では、この春、分娩を扱う総合病院が半減した北九州市の「市立医療センターの産科医」の2日間を追っている。朝から夕方まで外来の診察。その後当直勤務につき、急患の受けいれ、カルテの整理等が続く。日付も変わった午前1時、ようやく仮眠室に入るものの、1時間後には急患で呼び出しをうけ、そのあとも別の出産、緊急手術と業務は途切れなく続き、そのまま翌日の外来勤務に入る・・。食事をとることも寝ることもままならない、想像を絶する実に過酷な労働ということだ。その医師の独白が「新しい命のスタートの手伝いができる喜び」。まさに、医師の、さらに医療スタッフの「自己犠牲」「利他心」「奉仕の精神」「感動」が、生命誕生の時空をかろうじて支えているのが現状。これを直視するには強靭な精神が必要だろう。

産科が減り、残った病院はパンク寸前。数少なくなった医師を待つのが頻繁にまわってくる当直。睡眠不足のフラフラ状態での診察、オペ、回診。もはや「病院で生まれる」のはミラクル状態というわけだ。畳の上で「産む」あのスタイルへの回帰が始まるというのがこうしてリアリティを獲得する・・

診療報酬を上げたら上げたで、それをねらって「戻ってくる」医師というのもなぜかこわい・・。とまれ、営利事業への転回。コスト計算。いま医療が強制されている道の先に待っているのは何か、これが問題。