瀬戸内寂聴と“老革命家”2007年08月25日 23:53

「はじめて逢った○○さんは、八十とは見えない美男子で、細身に上質の紬の対の和服がよく似合い、何となく粋で、革命家というより、詩人といった風情があった」。これは瀬戸内寂聴が、初めて荒畑寒村に会った時のことを書いたくだりである(本日の日経・37面)。 瀬戸内が、大杉栄や伊藤野枝をめぐって『美は乱調にあり』、『諧調は偽りなり』を出したあと、管野須賀子をテーマにしたものを構想しはじめた際に、神近市子の助言を得て荒畑の話を聴きに行ったときのことを書いたものである。周知のように、管野は、かつて荒畑の連れ合いだったが、荒畑がムショに入っている間に幸徳秋水と通じる仲になったのであった。そのあたりのことを含めてインタビューするという様子がリアルに描かれている。茅ヶ崎の寒村宅に赴くものの、菅野のことはどうも現「家内の前では話辛い」というので、銀座に出る時の印象をつづったもの。噺家並の話術で、間に口を挟む間もなく滔滔と話すのを聞きながら、話が途切れた一瞬瀬戸内が訊いたのが「今、・・一番のぞんでいらっしゃることは・・?」だった。その答え。「もう一日も早く死にたいですよ。ソ連はチェコに侵攻する。中国はあんなふうだし、日本の社会党ときたら・・。一体自分が生涯かけてやってきたことは何になったのか、と絶望的です。・・」。これがほぼ40年前(1968年)の話。

ちょうどその頃(というか、正確に言えばその数年後)、大杉栄と面識があったという老夫婦が営んでいた屋台と居酒屋の中間のような形をしたおでんのお店によく行っていたことを思い出す。いまから思えば、大杉栄も荒畑寒村もまだまだ大過去のことではなく、地続きのことだったのだとしみじみ思う・・。

瀬戸内の「荒畑の項」は来週に続く、とある。

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