トイレで「近代」のきわみを想う2009年08月09日 14:06

世はまさにモダンのきわみを
めざして突っ走っているかのようだ。
近代の次というのではない。
窮極の近代ということである。
ある建物のトイレに入って思った。
事の仔細はというと・・。

最近いたるところで,
点灯スイッチのないトイレが増えている。
利用者が入ると自動的に
灯りがともるようになっているあれである。
スイッチ不要の仕組み。
センサーが作動するのである。

が,このセンサーが問題なのである。
トイレで,
例えば2分間不動の姿勢を保ったとする。
その場合いかなる事態が生ずるかというと,
灯りがすぅっと消えてしまうのである。
センサーは
人間の動作をとらえる機能をそなえているが,
人間存在それ自体を
認識する機能はもちあわせない。
動く物体をキャッチすることはできても,
身動きせずに,
思索(denken)する人間主体は
射程には入らない。
奇妙と言えば奇妙であるが,
とどまることを知らず,
ひたすら走り続けることを,
変化を重ねることを
善しとする「近代」であってみれば
当然のことと思わねばならないのである。

トイレに入って「近代の果て」を思い巡らす時代,
否,正確には
「近代の果て」をじっと思索することの出来ない時代
これが現代というわけである。
お試しあれ!
Ach! Pfui!

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