日銀の思惑2006年03月10日 11:43

日銀が量的金融緩和策の解除を決めた。日銀と政府の関係の問題をベースに諸々検討すべきポイントがあるように思う。1つは、解除のタイミング。なぜこの時期?一見、日銀の独立性が示されたような格好だが、果たしてそうか。小泉は、早期の解除宣言に対して繰り返し牽制してきた。自らの退陣に際し、「小泉流構造改革」の成果による、デフレ脱却、本格的景気回復を大々的に宣揚すべくネラッていたからだろう。そのシナリオがいささか狂ったというべきなのか。あるいは、日銀の真意としては、とりあえず「量的緩和」の解除を先行させて、5月前後?の小泉による「デフレ脱却宣言」を承けて、そのお墨付きをバックに一気にゼロ金利からの転換もはかる、というようなことなのか。しかし、「ゼロ金利解除」にもつながると考えられる物価上昇の目安を0~2%と明記したのは、最新の消費者物価指数の上昇値が0.5%というのを考えれば、「ゼロ金利解除」に踏み切るつもりはありませんと言ったのと同然だ。つまり日銀が、実は「小泉の思惑」を慮って動いていると解釈することも可能だともいえる。あるいは、慶応の池尾和人(学生時代は“青のお帽子”がお似合いだったんだってねぇ・・)が指摘しているが(本日の河北新報)、「景気は拡大局面が続いているが、循環論的には後退局面が近づいており、夏場には変調を来す可能性もないとはいえない」から「今回の緩和解除」にはリスクがあり、下手すると景気後退の責任をかぶることになるということも念頭に置く必要があるかもしれない。「だから『解除を急ぐな』といっただろう」という小泉・竹中の高笑いを演出するためのもう1つのシナリオの可能性というわけだ・・。