民営化に走るノリ、ないし情緒2006年03月27日 23:43

今朝の朝日新聞の『声』に「役人の姑息さ PSEに見た」という投書が載った。いわゆる「『官』から『民』」へ、というキャッチコピーが人心をとらえるいわば瞬間が見えた!というような気がする「声」だった。「声」はいう。世論の盛り上がりに屈する形で結局経産省は「PSEマーク」のない中古品も「レンタル」の形をとれば実質的に販売ができるということで、逃げ道をつくった。が、これは「役人の頭脳明晰さ」を証明する便法以外の何ものでもない。なぜなら、要はマークの実施時期を1年なり先に延ばせ済むようなことなのだから。しかし、そうすればミスを認めることになるから、「便法」に走ったのだろう、と。つまり「役人は民間人より優秀なのだから誤りはなく、謝罪はしない」ということに違いない。そうだとすれば、こんな『公僕』を養うために、われわれは税金をはらわされていることになる。これって許せるか!、と。「声」はここで終わっている。しかし、ここから、「役人を減らせ」「役人でなければならないということはないはずだ。民間企業にやらせたらはるかにうまくやれるはず」の合唱まではひとっ跳びだろう。役人の駄目さを正すのに「民」(=市場原理)の力を借りる、という主張。ほんとにそうなのだろうか? 役人の駄目なところは、競争の原理によらなければ正せないのだろうか。この点が問題の一つ。それと、「声」の主は、PSEマークの問題を、役人の問題としているが、PSEは実は「電気用品安全法」という立法府の問題にほかならない、ことが抜けている点、これがもう一つの問題、ということになるのだと思う。