“ユートピアの商品化” (「ゲーテッド・コミュニティ」)2006年03月06日 23:41

今朝の朝日新聞の「オピニオン」欄で、文化人類学者の渡辺靖が「ゲーテッド・コミュニティ」を取り上げていた。「ゲーテッド・コミュニティ」は、高いフェンスで囲い込まれ、警備が常駐するゲートを通じて、住民と一部訪問客のみが出入りを許される「私的空間」を指す。冒頭、渡辺は全米最大規模のゲーテッド・コミュニティを紹介している。ほぼ東京の港区に匹敵する広さに、1万3千の住民が住むという。85%が白人、平均年齢35歳、平均年収20万ドル(2,300万円)、住宅はすべて100万ドル以上、等々の数字がこの「小世界」の輪郭と性格を浮き彫りにする。ゲーテッド・コミュニティの数がすでに5万を超え、しかも富裕層向け、中流層向け、退職者向けなどのタイプがあり、最近では労働者向けというのまであるというから驚きだ。こうしたゲーテッド・コミュニティ、すなわち“商品化されたユートピア”を膨張させている背景は何か。渡辺は、これを「小さな政府」を是とする潮流が、公的サービス提供者としての行政の役割を極小化したことに求める。この「小さな政府」志向は、効率や競争力を「正義」、「絶対善」とするネオリベ(新自由主義)によってリードされているのはいうまでもない。そして20世紀末以降めだつ「保守のアメリカ」への転回、これの背景にあるのももちろんネオリベだ。要するに、ゲーテッド・コミュニティ(渡辺は同種のものとしてメガチャーチにも注目しているが、厳密には宗教組織とは区別すべきだろう)というのは、次のように読み解くことができそうだ。市場至上主義の拡がりが、国家・行政府の意味・機能を限りなく後景に押しやり、そのいわば空洞化したものを自前で私的に用意する空間ということ、これである。私的に囲い込まれた「公共財」という形容矛盾の世界。《危険》から遁れ、《安全》の空間に閉じこもるこの行為は、それがすべて《商品=市場経済》によって担保されている以上、それの持続可能性は、私的空間のもつトータルな商品購買力そのものに依存していると見るべきだろう。永続しうる根拠はきわめて希薄ないし脆弱というほかない。しかもこの「小世界」は、生活・消費の時空との関わりでのそれでしかなく、生産の場を持つわけでもなく、人間社会と自然との間の物質代謝をまっとうできる性格のものでもない。まさに“ユートピア(outopos)”とは、“ou(ありえない)“場(topos)”だということを示す典型例のような気がする。

あぶないなぁ、この「塾」2006年03月09日 11:40

『立花隆の無知蒙昧を衝く』や『養老教授、異議あり!』を出している出版社の社長から次に出したいと思っているのは「松下政経塾の企画」だと1年ほど前に聞いた。その後刊行されたとは聞いていないのでこれがどうなったかはわからない。それはともかく、『論座』4月号(朝日新聞社) が「松下政経塾の全貌」を特集している。塾出身の国会議員がいま30人。日本共産党(18人)、社民党(13人)であることを思えば大変な数字だ。しかも30名の所属は民主党16、自民党14とほぼ半々。要するに保守系議員を生みだすプールとして機能しているということだ。前回は民主党、今回は自民党から出馬というケースも驚くにあたらない。塾出身の逢沢一郎 前原誠司 野田佳彦 伊藤達也 松沢成文 中田宏 秋葉賢也 玄葉光一郎 原口一博 松原仁などを並べてみると確かにアイデンティファイするものが同じだという印象をうける。体制を決して否定しない、これを壊さない「優等生」とでもいえばいいか。スキルだとかゲームだとか、スキームだとか、そんなカタカナ語を多用するいわば現代合理主義っ子という感じだ。もちろん「小さな政府」は当たり前、脱福祉、自己責任も疑う余地のないカテゴリーという具合。『論座』のなかで、注目されるのは、塾創設者の松下幸之助が亡くなった1989年までの10年間、実際に政治家になったのはたった一人だった(逢沢一郎のみ)という点、しかし92年の日本新党の登場が大きく状況を変えたということ。とくに93年の衆院選では塾出身者15名が日本新党で当選したことが本格的な政治進出のはじまりだったという。塾生の政界進出が、細川政権の誕生、すなわち自民党単独長期政権の終焉と重なったということだ。ところが細川政権そのものは、「金銭スキャンダル」(『論座』ではこれが佐川スキャンダルと誤った内容になっている。佐川スキャンダルはむしろ自民党失墜のきっかけだったのに)によってわずか8ヶ月の短命に終わり、その後相次ぐ新党ブーム(政党の離合集散)のなかで塾出身者は急速に出番の機会を失ったという。そして昨年の総選挙。塾出身者は「小泉チルドレン」として再び舞台の前面にたった。わたしたちは勿論、例えば現杉並区長の山田宏(塾二期生)が「塾関係者の間では『民主党にいれば今頃代表だった』との見方」(『論座』50-51ページ)があるというようなことを看過してはならないだろう。山田こそ「つくる会教科書」採用の積極的推進者だからである。その山田が民主党の代表に着くことがリアリティをもって語られる現実!。また塾出身者の多くが、幸之助の「政治は国家経営である」の信念を後生大事にかかえ、それゆえに「日本国株式会社の株主代表として株主総会たる国会で働く」ということを恥ずかしげもなく吐露してもいる。「ったく!」

日銀の思惑2006年03月10日 11:43

日銀が量的金融緩和策の解除を決めた。日銀と政府の関係の問題をベースに諸々検討すべきポイントがあるように思う。1つは、解除のタイミング。なぜこの時期?一見、日銀の独立性が示されたような格好だが、果たしてそうか。小泉は、早期の解除宣言に対して繰り返し牽制してきた。自らの退陣に際し、「小泉流構造改革」の成果による、デフレ脱却、本格的景気回復を大々的に宣揚すべくネラッていたからだろう。そのシナリオがいささか狂ったというべきなのか。あるいは、日銀の真意としては、とりあえず「量的緩和」の解除を先行させて、5月前後?の小泉による「デフレ脱却宣言」を承けて、そのお墨付きをバックに一気にゼロ金利からの転換もはかる、というようなことなのか。しかし、「ゼロ金利解除」にもつながると考えられる物価上昇の目安を0~2%と明記したのは、最新の消費者物価指数の上昇値が0.5%というのを考えれば、「ゼロ金利解除」に踏み切るつもりはありませんと言ったのと同然だ。つまり日銀が、実は「小泉の思惑」を慮って動いていると解釈することも可能だともいえる。あるいは、慶応の池尾和人(学生時代は“青のお帽子”がお似合いだったんだってねぇ・・)が指摘しているが(本日の河北新報)、「景気は拡大局面が続いているが、循環論的には後退局面が近づいており、夏場には変調を来す可能性もないとはいえない」から「今回の緩和解除」にはリスクがあり、下手すると景気後退の責任をかぶることになるということも念頭に置く必要があるかもしれない。「だから『解除を急ぐな』といっただろう」という小泉・竹中の高笑いを演出するためのもう1つのシナリオの可能性というわけだ・・。

“カルチェラタン”再び燃ゆ!!2006年03月12日 11:34

カルチェラタンが燃えた。パリ大学ソルボンヌ校でバリケードに立てこもった(そう、いまは“引きこもり”がトレンドだが、そもそもは“立てこもり”なのだ!?)200とも300ともいわれる学生たちが〈抵抗〉のすえに機動隊によって強制排除された、という報道。これはドビルパンが強行した新たな雇用促進法(26歳未満の雇用について、2年間の試用期間中は理由なく解雇することができるというのが基本)に対する《粉砕闘争》だ。グローバリゼーションの進展のもと、企業の利益確保・利潤拡大に向けた方策が相次いで打ち出されつつある。日本でも企業業績の伸びが目立つ一方で、その背景になる格好で「非正規雇用」のウェート上昇が進んでいる。ドビルバンの雇用政策もそうした性格のものだ。これに異議を唱えて学生が「立ち上がった」のは至極当然だろう。フランス全土に広がりつつあるともいわれる。フランスでは、昨年の10月末に、二人の北アフリカ系の移民の少年が警官に追われるなかで死に至り、この事件をきっかけとした《暴動》が起きた。それが瞬く間に全国に波及したのは記憶に新しい。新保守主義・ネオリベ的イデオロギーの拡がり、右傾化・保守化(極右政党「国民戦線」の台頭)が進む状況にNon!を唱えるまっとうな動きがフランスで発生している。これが市場至上主義に替わるオルタナティブの構想へと転回するのか・・。