加速する「工学部離れ」の問題2006年06月25日 17:09

今朝の河北新報。「『技術立国』険しい前途」という小さな囲み記事が載った (共同通信配信記事)。岐阜大が国立大工学部の志願者動向を調査した結果だ。全国の国立大入試で、工学系の志願者数が、2002年度から今年度にかけて大幅に減少したという話。具体的には、約2万人の募集枠に対し、6万4千人(02度)から5万3千人(06度)へとおよそ17%減じた。これは、同期間の18歳人口の減少、約9%のほぼ倍の数字。調査した岐阜大では「社会が物作りの担い手を多くは必要としなくなってきたことや、中高生の理数離れなどが背景」と分析しているとのこと。

資本主 義経済が、「工業=製造業」を軸とする産業編成とともにあるとすれば、日本資本主義という経済システムにとって相当深刻な問題を抱えたといえるだろう。しかし、だからといって、資本主義経済を相対的にとらえ、これとは別の社会経済システムを構想する立場にたつものにとっては肯定的な状況かといえば、これも問題は別だ。資本主義のあとに「ポスト資本主義」としての「知識社会」を展望 する議論がある。人間社会にモノは不可欠だが、かつて農業社会から工業社会へと転じたのと同様、工業は限りなく後景に退くことになるだろうが、これで一向に構わない、という議論。現在の「ものづくり」が、きわめて高度な 技術的・専門的知識に裏づけられなければなりたちゆかない点を無視した議論とみていい。いまのモノづくりは、モノづくりの現場よりもシミュレーションなどがカギを握る構造のもとにある。いまなお経済社会は工業が軸だ。ただし、モノづくりの現場にヒトがはりつく必要はなく、研究開発にヨリ多くのヒトが必要という関係だ。したがって、「工学部離れ」は相当深刻な問題ということになるだろうし、資本主義に代替するオルタナティブを求める立場に立つにしても、高度工業社会からの転換プログラムがない限り、いいかえれば、いわゆる過剰富裕状態を脱して、ドラスティックな生活水準の低下を受容するというような選択をしない限り、同じように容易ならざる局面に逢着していると認識すべきだろう。

1980年代、ジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされた日本の経済。それを支える要因の1つになったのは、「工学部」出身者だったのは間違いない。彼らは、1960年代の半ば、ときに「医学部」よりも入りにくいといわれた「工学部」に入った人たちだった。いわゆる「2007年問題」の当事者でもある。

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