「空過」?なんのこっちゃ・・2006年06月12日 10:35

プロ野球、セ・パ交流戦の話。昨日の千葉マリンスタジアム。ロッテVSジャイアンツ戦で、李スンヨプの“ホームラン”が幻の2ランになったという。その理由が、一塁走者(小関)による3塁の踏み忘れ。これを「空過」というらしい。アピールプレーでこの「空過」が成立した。

ここで感心させられたのが、ロッテの3塁手、今江のプロ意識。すまし顔で「ランナーがベースを踏んだかどうかの基礎はいつもしているし、基本中の基本」といったとか。打球がフェンスを越えてホームランと確認された時点で、フツーだと、そのあとは、ホームラン走者が「空過」を犯さないかはチェックするかも知れないが、先行して塁上にいたランナーがベースを踏まないかも知れない、などと観察眼をとばすなどとはつゆおもわないのではなかろうか。まったくの素人判断ではあるが・・。とまれ、野球では確かにプロフェッショナルがまだいた!といえそうだ。そういえば今江はWBCでも活躍した・・。

「忘れられた科学」に注目した朝日社説2006年06月13日 09:00

本日の朝日新聞の社説。「忘れられた科学」と題された「数学に関する」シンポジウムをモチーフにした議論。それこそ昇降機(エレベータ)の制御から、通信、暗号、金融などあらゆる社会の領域で必要とされる「数学的知」。しかし、この国では往時の状況とはちがっていまでは、「その基盤の層が薄く、研究実績にもかげりが見えてきたというので」憂いざるをえないというわけだ。

文科省の科学技術政策研究所によれば、近時「数学的な方法をさまざまな分野に生かすことに立ち遅れている」。研究レベルでは、バイオ、新素材、情報通信の分野などでそうであり、ビジネスでも半導体メーカーにおける回路設計、誤差の厳格な制御などで見られるという。医療の世界でも例えば治療法の効果を確める大規模な臨床実験において統計学が不可欠だが、これがきわめて手薄に なっているとも。

問題は、もちろんこうした現実をもたらした背景は何かということにある。「社説」はいう。「目に見える成果を求めて重点的に投資するやり方に、地味な数学がはじき飛ばされてしまった」からだと。そして「数学の理論は、何十年もたってから応用の道が開ける場合も多い。木の幹にあたる基礎的な研究をしっかり育てる必要がある」と正論を述べている。しかし、この「社 説」の射程はここまでで果てている。地味な研究、学問は何も「数学」に限らない。目の前の成果だけで判断される弊害は「数学」だけに現れているわけではない。「社説」は、まるで短期的利益を声高に主張する「株主の眼」のようなものが瀰漫しているいまの現実を撃ってこそ意味を持つ。ま、無理だろうな・・。

日銀総裁の村上ファンドへの出資問題2006年06月14日 22:35

日銀の福井総裁が村上ファンドに1千万出資していたことが明るみに出た。総裁になる前(正確には日銀の副総裁を辞めて総裁になるまでの間の富士通総研の理事長時代)に「もの言う投資家」としての村上世彰の志に魅了され、村上ファンドに出資したというのがその内容。日銀の内規や法的レベルでは問題なし、というのが政府・与党の判断とのこと。しかし、総裁就任後も出資を引き上げなかったらしいから、日銀総裁=金融政策の元締めとして考えると妙な違和感はぬぐえない。

いま1千万円を銀行預金すれば1年で得られる利子はせいぜい5万円ほど(利率0.5%で算出)。金融政策が超低金利(限りなくゼロ金利に近い)を追求してきたからだ。つまり「妙な違和感」は、超低金利(ほぼゼロ金利)を政策的に貫きながら、自分だけは「こんな低金利でやってられるか」とばかり村上ファンドに金を預け、結果として年利20%以上を取得していたという構図が浮かびあがるところに発している。これは、どうみてもやっぱり変だね。

激減―大学生の公務員希望者2006年06月16日 22:01

昨日の『朝日』に公務員試験を志望する学生が激減しているとあった。 (Webではこちら)。昔から、景気の浮き沈みと公務員志望者数は逆に動く、といわれてきた。私たちの実感とはいささか違って、2002年2月に始まった景気拡大局面が、高度成長期のいざなぎ景気(4年9ヶ月)を超えて継続する、との観測も出始めたが、この環境が学生の民間企業への流れを生み出し、公務員を希望する者の減少をもたらしている、ということなのだろう。早い話「バブルのころに似てきた」わけだ。

ところで、朝日の記事の強調点は、景気のことよりもむしろ「『官から民へ』『小さな政府』の小泉改革で、これからは役所では面白い仕事ができそうもない、と学生が(は)敏感に感じ取っている」(今村都南雄中央大学法学部教授)点におかれている。本来、「何から何まで民にゆだねることに問題はないのだろうか」と発想するのがまともな学生だと思うのだが、いまじゃそんな学生にはめったにおめにかかれない。あくまでも時代のメイン・ストリームにのることがスタイルだからだ。

本日のぜミの時、これを話題にした。「この大学でも、学生の公務員離れが始まっているのだろうか」と。学生の一人いわく。「そんなことはないはず。だって、自分もふくめてここの学生は、日々新聞を読んだり、ニュースを見たりするっていうのはないので、世の流れなんか知らないはずだから」。

ここまで客観的に分析できる態度は、ほめるしかないのだろう・・ね。