文学の中心、センダイ ― 2006年11月22日 22:48
今朝の朝日「宮城版」に、仙台文学館で開催中の「読書サロン 仙台の作家たち」
を取り上げつつ、池上冬樹(文芸評論家)が同展のオープニング・トークとして語ったことが紹介されている。その問題関心は「仙台を拠点に、数多くの作家が活躍するよ
うになったのはなぜか」。伊集院静、伊坂幸太郎、熊谷達也、瀬名秀明、佐伯一麦、三浦明博などなど、そういわれればなるほど、と思う。池上によれば、その契機をつく
ったのが、いまは鶴岡市(山形)在住の佐藤賢一だということになる。東北大大学院在学中に直木賞(99年下期)を受賞したことが大きかったという読みだ。どう大きかった
のかは、この記事のまとめからは分らない。想像、推測で考える限り、瀬名、伊坂など学生時代にデビューした作家のはしりが佐藤だから、ということなのか。それでもよ
くわからない点はかわりない。一方で「新幹線があり、東京に住む必要がなくなり、ここ5,6年、(仙台に)定着する人が増えている」し、伊坂の「作品の舞台が東京だった
ら魅力が半減する。手あかがついておらず、清潔感、透明感のある仙台を舞台にしたものを読者が読みたがっている」とも解釈する。これもいささかこじつけに近いのは否定
しがたい。
そこで、あらためて「職業としてなりたつ、仙台在住の作家が多くなったのはなぜか?」と考えてみる。一言で言えば「東北」が浮上しつつある、という ことにあるのではないか。近代国民国家の形成後も最も後進の地であった「東北」。これがようやく“語り始めた”ということではないか。「東北学」(赤坂憲雄)もその一環 と読める。地元花巻で宮沢賢治をとらえ返す試みがおきつつあるらしいが、それもそうかもしれない。いずれ、みちのく=東北の“考現学”をきちんと構築することが必要だ。 東北楽天イーグルスの存在感も増しつつあることも・・。
そこで、あらためて「職業としてなりたつ、仙台在住の作家が多くなったのはなぜか?」と考えてみる。一言で言えば「東北」が浮上しつつある、という ことにあるのではないか。近代国民国家の形成後も最も後進の地であった「東北」。これがようやく“語り始めた”ということではないか。「東北学」(赤坂憲雄)もその一環 と読める。地元花巻で宮沢賢治をとらえ返す試みがおきつつあるらしいが、それもそうかもしれない。いずれ、みちのく=東北の“考現学”をきちんと構築することが必要だ。 東北楽天イーグルスの存在感も増しつつあることも・・。
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