金融情報メディアという“妖怪”2007年05月16日 22:16

ロイターといえば、我々世代にとってはニュース報道企業とイコールだ。もちろん 1990年代から2000年にかけて業務内容が大きく様変わりし、いまでは売上げの 9割は金融情報サービスが占める。そのロイターをカナダの金融情報サービス大手 のトムソンが買収するとの記事が アサヒ.comに出ている。この買収の結果、経済ニュース・金融情報サービス の世界市場は、ロイター&トムソン新会社とブルームバーグの二強体制となる。 情報配信と金融サービス(取引仲介etc.)の結合ビジネス・モデルがますます大手を振って はびこる状況が顕著になりそうだ。まさに情報「金融」資本主義そのものを演出する。

金融事業にどっぷりつかったロイターで思い出すのが、いまから2年前の 「フジテレビ」乗っ取り策動。策動の主体はいわずと知れたホリエモン。フジTV(直接的には フジの親会社だったニッポン放送)乗っ取りをはかる数ヶ月前にホリエモン は、江川紹子のインタビューに答えて「元々は、商売で金融系事業をやっているわけですよ、うちは。 ・・そこで重要なのは、メディアを持つことですよ。何故かって言うと、ロイターだってそうじゃな いですか。ロイターは元々通信社ですけど、証券取引のシステムを作ったところで大きく伸びたんですよ。 ・・企業内に情報配信システムをまず設置して、取り引きをそこでしてもらってサヤを抜くみたいなビジネ スがメインになっているのは確か。それをやりたくて」(2年前には江川のHPに掲載されていた)といって いた。たった2年前に羨望の的となっていたそのロイターが買収された!!

“一期一会”の含蓄2007年04月23日 19:16

紙媒体の雑誌をネットを通じて デジタルマガジン として販売する ビジネスが誕生したとある(今朝の日経 13面 企業2)。便利が また1つ増えたと思うと同時にこの便利を素直に受け入れがたい という気持ちが頭をもたげる。ビジネスの仕掛け人いわく「紙 媒体の雑誌は『生鮮品』という考え方が強く、発売後一定期間 が過ぎると記事データを活用せぬまま、努力して作ったコンテンツ を捨てて」いた。しかし「ネットでこそ出版社のプロが作った雑誌 をバックナンバーを含めて提供すべき」ではと。「ごもっとも」と思う。 「でも」とも思う。プロが作り上げたコンテンツが、月刊誌であれ ばわずか30日ほどで消えていくがゆえに、これを読む時の高揚と 緊張感があったのではないかと思う。つまり“一期一会”という単なる 四字文字熟語でしかない印象を与える文字列が俄然くっきりとその 意味を訴える瞬間があったのではないかと。だが、しかし、これからはオンデマンドで いつでも好きなときに即呼び出せることになった。気持ちの弛緩は 否定しがたいというべきだろう。尤も、最近ではこうした精神の 高ぶりを感じさせる雑誌がめっきり減ってしまったのも事実である。 ともあれ日本では1970年代にVideo Tape Recorderではじまった 情報ストックといういわば“一期一会”を無化する試みが限りなく あらゆるメディアに浸透する現実が急速にひろがる。とりあえず 30誌余りでスタートし、いずれは発行されている全雑誌(2500強) をカバーするとのこと。

創造的アイデアはコンピュータを恃(たの)まない!2007年04月02日 22:31

河北新報、本日の朝刊は29頁。[みやぎ]面にちょっと気になる記事を見つけた。 仙台市に本社がある「アイリスオーヤマ」(インテリア、ガーデニング用品、事務用品 などのメーカー。J2ベガルタ仙台のサポート企業でもある)の角田工場の商品開発部では、 パソコンを商品開発担当者(約60人)に個別配備するのを止めたというのが紹介されている。 社長が「パソコンに向かっている間は、創造的なアイデアは生まれない」 とひらめいたから、というのがその理由らしい。共有のパソコンコーナーは別に 設けてあるものの、今では仕事の大半は、机上でスケッチをしたり、試作品を実際に 手にとって試したりということになったとのこと。 「パソコンと切り離したことで、社員は本来の仕事がアイデア創出にある とあらためて認識したようだ」とのコメントに一切が凝縮されている ように思った。

最近は、Webの日本語のコンテンツにもこれはと思うものが だいぶ増えてきた(もちろんまったく逆の意味のコンテンツも同じように 増加しているのも現実だが)。だから、パソコンでの仕事は、ちょっとつまったりすると すぐネットに“逃げて”しまいがち、というのが現実なので―と、これを書いている のもそうなのだが(*^.^*)―、このアイリスオーヤマのアイデアは「英断」に違いないとすごく 納得する次第。

雑誌というメディアの可能性2007年03月08日 21:22

昨日の東京新聞の夕刊の小さなコラム(大波小波)が面白い。 タイトルは「ある編集者の死」。「優れた編集者とは、単に売れる本を 作る者のことではない」と始まるこのコラムが注目した編集者とは1970年代に『現代思想』と『エピステーメー』を創刊した中野幹隆である。いわゆる 「現代思想ブーム」の仕掛け人として知られた。次のエピソード が、中野とデリダの人となりを示す。「篠山紀信の撮った大竹しのぶ のヌード写真集の帯文をデリダに三行依頼したところ、原稿料の高さから 勘違いされて、四十枚の論文が送られてきたという」のがそれ。あのデリダ をして誤解させしめるほどの「仕掛け」を創造するセンスとエネルギーが すごい・・。

コラム子は「雑誌の時代は終わったなどという怠惰な 寝言はやめて、われわれはいかに多くを彼(中野)に負っているかを、感謝 をこめて思い出すべきである」と結ぶ。しかし読者離れがとまらない雑誌の 現状打破ははたして可能か。雑誌が提供するほどのことはほぼWebで 入手可能になっている現実を前に中野だったらはたして秘策を思いつくのだろうか?

きょうの朝刊各紙には、J.ボードリヤールが77歳で没、とある。